ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】2006年 読書記録 まとめ

2006年12月29日 18時20分20秒 | 読書記録2006
2006年 読書記録 まとめ
年のはじめに「本を100冊読もう!」と目標を立ててしまったので、読む本の厚さを調節しいしい、どうにかピッタリ100冊読みました。正確に言うと100冊ではなく100タイトルですが細かい事はおいといて。ここ数年、読書が滞っていたところの復活! これまであまり読書が進まなかった間もちまちまとチェックして溜めていた『読みたい本リスト』に含まれていた本が多かったので、内容の濃い一年だったと思います。

今年のベスト本は、なんと言っても『禁煙セラピー』(アレン・カー)ですね。もちろん現在もタバコは吸っていません。間違いなく人生の軌道が大きく変わったと思います。もしこの本が無ければベストとなったであろう本が、『じぶん・この不思議な存在』(鷲田清一)『うるさい日本の私』(中島義道)。どちらも哲学分野の著者による本です。とっても身近なことなのに全く無意識だった部分に目を向けさせ、衝撃を与える内容です。小説部門では、おもしろい本が多かったのですが、文字による表現の新しい可能性を見せつけられ衝撃を受けたという点で、『サンクチュアリ』(フォークナー)が印象に残っています。ブルーバックスを中心とする科学系の読み物では、目ぼしいものが無かったのが少々残念です。

以上挙げた本は、個人的好みが入っていてかなり偏りがある(万人受けしない)内容だと思います。広く人にオススメするとするなら、、、

『壬生義士伝』(浅田次郎):時代物。強い男はやはりカッコいい。
『波の塔』(松本清張):恋愛ミステリ(?) 先日テレビドラマでやっていたようだ。
『星を継ぐもの』(ジェイムズ・P・ホーガン):古典SF。続編2冊も楽しみ。
『私は赤ちゃん』(松田道雄):新書。誰しもが通った道。
『後世への最大遺物/デンマルク国の話』(内村鑑三):古典。この稀有な爽やかパーソナリティーはなんだ!?
『わたしの知的生産の技術 PART I』((編)「知的生産の技術」研究会):実用書(?) 各分野の巨人達の言葉。絶版なのでここに挙げるのを迷ったが、印象的だったので。

ここで紹介している本は、ほとんどがブックオフの105円コーナーで買ったものなので、皆さんも気長に探せば手に入るかもしれません(保証はできませんが)。
他にワースト本の紹介なんかも考えたけど、労力節減のため割愛します。また、印象に残った書き抜きなんかも・・・シンドイので割愛。
今年は100冊縛りがあったので、わりと薄い本が多かったのですが、来年はもう少し長編を読みたいと思います。『カラマーゾフの兄弟』、『アンナ・カレーニナ』、『ジャン・クリストフ』、『レ・ミゼラブル』、『豊饒の海』、・・・などなど。これだけで一年暮らせそう。
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【本】虐げられた人びと

2006年12月28日 20時44分32秒 | 読書記録2006
虐げられた人びと, ドストエフスキー (訳)小笠原豊樹, 新潮文庫 [赤]10T(2151), 1973年
(Униженные и оскорбленные, Достоевский, 1861)

・『ドストエフスキー好き』といいつつ、『罪と罰』と短編をいくつか読んだくらいで、『白痴』も『悪霊』も『カラマーゾフの兄弟』も読んでない似非ファンです。いや、好き嫌いと読んだ数は関係ないのだ! というわけで久々のドストエフスキー。
・写真:この独特の文字のギッシリ、ミッチリ感がたまりません。この写真のワルコフスキー公爵の告白(長台詞)部分は、文学史上に残るような名場面ではないでしょうか。
・読みはじめは正直言って退屈。「この調子で最後までいくのだろうか」と不安になったりもしましたが、謎の少女ネリー(エレーナ)の登場で状況は一変しました。結果、『ドストエフスキー好き』は継続の方向で。 主人公である"私"(ワーニャ)とナターシャとアリョーシャの三角関係を中心に、ワルコフスキー公爵、マスロボーエフ、イフメーネフ老夫妻、カーチャ・・・などなどが絡み合って、コテコテドロドロの人間模様が繰り広げられます。その中にあってネリーの存在は強烈な輝きを放っています。この少女に対する著者の思い入れはなんなのか。 『人間』のもつあらゆる性質を、各登場人物を鏡にして映し出し、「人間とは何か」という巨大なテーマに真向から取り組んだ作品。
・「あのひとの場合はそのほうがいいのよ。だれだって束縛はいやでしょう、私もよ。それでも私は喜んであのひとの奴隷になるわ。自発的に奴隷になるわ。一緒にいられるのなら、あのひとの顔を見ていられるのなら、あのひとにどうあしらわれても辛抱するわ! あのひとがほかの女を愛したって構わないような気がする。それが私の目の前で起ることなら、私がそばにいられさえしたら……。」p.65
・「『脳味噌をぜんぶ掻き出して、、新しいのと入れ替えて、また元どおりにできるものなら』と私は平気で考えた。『気違い病院にでも入ってやるんだが』。それは生への渇望と信仰だった!……だが、今でも覚えているが、私はすぐに笑い出したのである。『気違い病院を出たら何をする気だ。まさかまたもや小説を書くんじゃあるまいね……』」p.80
・「きのうも、おとといも、訪ねてきたとき少女は私の質問に答えず、ただとつぜんその執拗な視線を私に注いだだけだったが、そのまなざしには不信の色や露骨な好奇心のほかに、何かしら奇妙な誇りが読みとれたのだった。だが今、少女のまなざしには厳しさと、不信の色らしきものがうかがわれた。」p.221
・「「いや、どうせりっぱな暮らしじゃないだろうとは思っていたが」と、部屋を見まわしながら彼は言った。「こんなトランクみたいなとこに住んでるとはおもわなかった。だって、こりゃあ人間の住居じゃないぜ、トランクだ。」p.223
・「「ううん、行って!」と、私が残る気なのをすぐに察してエレーナは言った。「眠いの。すぐ寝ちゃうから」  「でも一人じゃ淋しいだろう……」私はためらいながら言った。「もっとも、ぼくは二時間ぐらいで帰れるけれど……」  「ねえ、行ってよ。じゃないと、私が一年ぐらい寝てたら、あなたも一年間外に出られないわよ」。」p.227
・「愛情だけでは足りないのだ。愛情は行為によって証明されるものなのだ。ところがお前は、『苦しもうがどうしようが、とにかくおれと一緒に暮らせ』という考え方だ。それは人道に反し、品格に欠けるやり方ではないかね!」p.293
・「「一人だと、さびしい?」と、私は出がけに訊ねた。  「さびしいけど、さびしくない。さびしいのは、あなたがなかなか帰って来ないから」」p.317
・「確かトルストイの何かにありましたね。二人の男がきみ呼ばわりする約束はしたものの、どうしてもうまく言えなくて、お互いに代名詞の出てくる文句を避けたりしてね。ああ、ナターシャ!そのうちに『幼年時代と少年時代』を読み返してみようね。あれは実にいいからなあ!」p.328
・「私、ナターシャにはっきり言います。『あのひとをだれよりも愛していらっしゃるのなら、あのひとの幸福をご自分の幸福よりも先に愛してください。その場合、別れるのが当然です』って」p.375
・「あなたのお仲間の作家がどこかに書いていましたね。人間の最も偉大な功績はおのれをつねに人生の脇役に限定することができるということである……とかなんとか、そんなようなことだった!」p.388
・「『出て行きます、もう二度と帰りません。でもあなたを愛しています。  あなたに忠実なネリー』」p.432 この一文だけで泣ける。
・「私はあのひとを……母親に近い愛し方をしていたのよ。でも二人が対等に愛し合う恋愛なんて、この世の中にはあり得ないような気もする。あなたはどうお思いになる?」p.472
・以下、訳者解説より「これは死によって二重三重に縁どられた小説であると言える。」p.559
・「ただしドストエフスキーは具体的な社会的現象としての、どちらかといえば単純な人物を描こうとして、思わず知らず悪魔的な意志を――人間にひそむ「悪霊」をかなり濃厚に暗示するという結果に終った。これが現在の私たちから見てたいそう興味深い点である。」p.561

?サモワール(ロシアsamovar) ロシア独特の、炭を用いる卓上湯わかし器。銅・黄銅・銀製などで、中央に木炭などをたくパイプが通り、その周囲が水槽となっていて、外側に湯を出すコックがある。
?かんぷ【悍婦】 気のあらい女。じゃじゃ馬。
?ボードビル(フランスvaudeville) 歌と対話を交互に入れた小オペラ、歌入劇や通俗的な喜劇・舞踊・曲芸など。また、それらを取り混ぜて演じる寄席演芸。バラエティー。
?きょうふう【驚風】 1 にわかに吹く風。荒い風。  2 漢方医学で、幼児のひきつけを起こす病気をいう。脳膜炎の類。驚癇(きょうかん)。きょうふ。
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【本】新数学勉強法

2006年12月25日 19時59分13秒 | 読書記録2006
新数学勉強法 時代が数学を要求している, 遠山啓, 講談社ブルーバックス B-7, 1964年
・数学の啓蒙書。数学の苦手な人に是非!という触れ込みで、親しみやすい図を多用し努力の跡はうかがえますが、内容に含まれる考え方は、しっかりしたガチガチの数学です。一応、どちらかといえば数学好きの私でも、ちょっとしばらく考え込む個所もちらほら。出版当時としてはこれでも易しかったのでしょうかね・・・ 導入部、記号論理、線形代数、微分積分の四部構成。
・写真:時代を感じさせる券売機。一体なんの乗り物用なのか。
・「しかし、数学を社会的な問題の処理に大規模に応用するきっかけをつくったのは、第2次世界大戦であったとされている。」p.15
・「このように数学は言語とよく似た性格を持っている、というより、ある特別な言語であるといってもよいだろう。」p.22
・「こういう分かりきったような事がらを大まじめに書いてあるのに出会うと、バカバカしくなってしまう人もあるだろう。しかしそれは早計である。  実は、このバカバカしいほど簡単な事がらをつみ重ねていって、複雑な事実を解明していくことに数学の威力が潜んでいるのである。」p.33
・「まず、結論から先にいっておこう。それは、「数学恐怖症を世の中にひろめた原因のうちの99%までは、過去の誤った数学教育にある」ということである。」p.40
・「この暗算偏重の算数教育を日本にもちこんだのは、昭和10年から国定教科書になった尋常小学算術(俗に「緑表紙」とよばれている)であった。そのなかには、たとえば、4年生には
  456+94, 535+76, 748+57
などを暗算でやらせている。
 また5年生には
  80/(5.2-3.6)
などという程度の高い暗算をやらせている。
 さらに6年になると、
  52+75+69+47
などの暗算もでてくる。
」p.44
・「暗算が計算の中心だとすると、数学者はみな暗算の名人になりそうだが、事実はそうではない。整数の加減剰除の暗算などは下手な数学者のほうがむしろ多いだろう。」p.44
・「つまりこういうことになる。  「数字に弱くても、数学に弱いわけではない。」だから、数字に弱い、と自認している人は決して悲観する必要はないのだ。」p.47
・「くりかえしていうが、こういうひねくれた難問がいくらできても、数学の本通りを1歩でも進んだことにはならないし、またこういう難問ができなくても少しも悲観する必要はないのである。」p.54
・「このデカルトは、初等幾何のなかで役に立つのは相似三角形の定理とピタゴラスの定理だけだ、といっているが、当たらずといえども遠からずであろう。」p.56
・「集合論を創始したのはカントル(1845-1918)という数学者であった。」p.68
・「∩は人が帽子をかぶっている形だからキャップ(Cap)といい、∪はコップの形だからカップ(Cup)というユーモラスな愛称でよばれている。」p.77 ヘェー ってこの呼び名は今でも使われているのだろうか?
・「つまり「すべて……である」の否定は「あるものは……でない」となるのである。」p.93
・「!という感嘆詞の記号は驚異的に大きいから n!に使ったという人もあるが、その起りはよくわからない。」p.113
・「1,2,3,……という添字を考え出したのはライプニッツ(1646-1716)であった。かれはうまい記号を発明することの名人であった。」p.122
・「フランクリンは人間を「道具をつくる動物」(tool-making animal)であるといった。」p.179
・「このとき f(x) を x の関数(function)という。(中略)もとはヨーロッパのfunctionであるが、使いはじめたのはライプニッツであるという。」p.184
・「この変化のありかたを視覚に訴えて、生き生きととらえることができるようにしたのがグラフである。それはデカルト(1595-1650)の発明したものである。」p.188
・「「微分は微かに分ればいいし、積分は分った積りになればよい」という洒落もこういうところからでてきたものであろう。」p.207
・「したがって微分という計算は「f(x+Δx)からf(x)を引いてΔxで割る」という計算をぎりぎりまで押しつめることである。」p.214
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【本】怨霊と縄文

2006年12月22日 20時12分12秒 | 読書記録2006
怨霊と縄文, 梅原猛, 徳間文庫 う4-1, 1985年
・"文化人"だとか"知識人"としてよくその名を見かていましたが、その著作を初めて読んでみました。著者は"哲学者"という認識だったのですが、内容は全く歴史の本です。日本古代の歴史について著者の立てた仮説を語り尽くす。「そんなことまで言っちゃって大丈夫なんだろうか・・・」と少々心配になるくらいその仮説は大胆です。証拠が出てこない限りは、まさに「言ったもん勝ち!」の世界。その道一筋でやってきた歴史研究家たちから見ると、「あほらしい」の一言で切り捨てられるかもしれませんが、そのパワフルな想像力から導き出され、独自の道をゴリゴリ突き進む理論展開は読んでいてなかなか痛快です。
・「話の一日目は記紀神話にかんするもの、二日目は法隆寺と聖徳太子にかんするもの、三日目は、柿本人麿にかんするものである。この三本がわたしの日本学の柱である。」p.4
・「万巻の書物の読書のあとに、問いと答えがおとずれるのではなく、先に問いがあった。そのあとに万巻の書物の読書と調査があったのである。」p.4
・「わたしは哲学の学者であるより、みずから哲学者であろうとした。哲学者とは、みずから思惟する人間のことです。」p.11
・「ですから、もしほんとうの意味の哲学的態度――学問をして真の学問たらしめる態度――が日本の古代研究にあったなら、わたしの仕事は必要なかった、そのように思います。」p.12
・「学問とはなにか、あるいは世界の構造とはなにかということをずっと考えて、35歳ぐらいまでほとんど論文も書かず自分の内部で悩みながら問い詰めて来た。そのことがおそらく今日のわたしの歴史観を支える有力な武器になっていると思うのです。」p.13
・「人麿の人生を見ていくと、そこに大きな歴史の闇がある。闇を見る目をわたしは実存主義、ニーチェやハイデッガーから学んだ。闇の中で、闇をじっと見ながら人生に対する希望を失わないというのが、わたしのいちばん好きな人生態度です。」p.15
・「わたしは学問の本質は、疑いと演繹にあると思いますが、それに帰納が加わらなくてはならない。」p.17
・「わたしの最初の哲学的野心は笑いの研究をすることでした。(中略)実存主義から受けた影響から脱するために、わたしは肯定的人生観を確立したいと思ったのです。それが笑いの研究でした。」p.18
・「そうなると『古事記』神話には、持統一族と藤原不比等の強い意志があらわされていると考えるべきではないだろうか。」p.38
・「日本の天皇と中国の皇帝の違いは、中国の皇帝は絶対権力者ですが、天皇の場合は、最初からひじょうに象徴的意味を持っていて、政治は太政官がやってしまうというところにあります。」p.40
・「『古事記』は律令体制を貫徹するための"宗教改革の書"だったのです。」p.49
・「しかも『古事記』の内容がまったく藤原氏に有利であることは、稗田阿礼が藤原氏の権力の代弁者であることを意味する。となると稗田阿礼は藤原不比等の仮名だと考えざるをえない。」p.55
・「結局『古事記』神道を発展させつつ、どこかで露骨な自己主張を遠慮しているのが『日本書紀』ではないかと思います。」p.59
・「やはり真理は体系だとわたしは思っています。だから、体系にならないような認識というものは、はなはだ真理性が希薄ではないか。逆に、体系になっていくということは、真理性がひじょうに濃厚な証拠ではないかと思います。」p.69
・「法隆寺の再建も大宰府や北野天満宮のように、やはり加害者が被害者の霊を慰めるために造った寺ではないかと考えたのです。」p.73
・「その時わたしの頭にひらめいたことは、法隆寺は太子の怨霊を鎮めた寺だと考えると、いままで長いあいだ謎とされたことがだいたい解けるのではないかということです。」p.79
・「だいたい「徳」のつく天皇の名前は不幸な天皇に多い。平安時代ですと、文徳天皇は毒殺されたという噂がある。崇徳天皇は流人となり怨霊になって死んでいった。安徳天皇は幼くして瀬戸内海の藻屑と消えた。」p.91
・「どうして決定したかというと、文体統計法によったのです。人間の書く文章というのには癖があって、しかも癖というのはなにげないところに出るものです。」p.124
・「従来の人麿論は三つの点において間違っているというのが、わたしの七年間の結論なのです。(中略)三つの土台、すなわち身分・年齢・作品論が間違って、そのうえにいままでの人麿論がつくられているから、つくられた人麿論はすべて間違ってしまう。」p.140
・「なぜなら、どこの国でも、その国の文章をつくるのは文学者であり、詩人である。としたら、日本最大の詩人、人麿が日本文の創造者であったとしても不思議ではありません。」p.154
・「『水底の歌』では、柿本人麿が、柿本?(さる)であろうと考えた。」p.155
・「今年もまた六月に北海道に行ってみました。北海道開拓記念館へ行き、藤村久和氏から、そこで発行しているアイヌの民族研究という論文をもらってきました。(中略)開拓記念館はいい仕事をしています。ひとつはアイヌの聞き書き。古老にいろいろな話を聞くのです。これはいま聞いておかないとなくなってしまう。その話をまとめてアイヌの宗教生活を藤村氏が総集編にまとめました。」p.195 ヘェー その頃もみじ台に住んでたので付近をウロチョロしてたはず・・・
・「またアイヌ語では肉体の上部を「エ」と言い、下部を「オ」と言います。日本語でも肉体の下の部分の言葉はほとんど「オ」を伴います。たとえば「オシリ」「オヘソ」「オチンチン」など。上の部分に「オ」をつけるのはおかしいのです。」p.201
・「世界の言語はだいたい四種類に分けられる。(中略)孤立語の代表は中国語、屈折語の代表がヨーロッパ語。膠着語はだいたいウラル―アルタイ語族で、朝鮮語とか日本語は膠着語です。それに対してアイヌ語は抱合語に属する。」p.203
・「こういうことをやってはじめて、わたしはほんとうの意味で本居宣長を超える。しかし、いまのところは、本居宣長や賀茂真淵の批判者であって、ほんとうの意味で本居宣長を超えてはいない。超えるには、やはり言語の研究を、前と違った方法で広げねばならないというのが、結論です。」p.208
・「藻岩山というと、例の札幌にある円山と同じ名前で、「モ」は小さいという意味ですから、小さい岩山、藻岩山ということで、三輪山も同じ意味の山ではないだろうか。」p.210 ヘェー 藻岩高校出身・・・

?こち【故知・故智】 古人の用いた知略。すでに前人が試みたはかりごと。
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【本】Rによる統計解析の基礎

2006年12月20日 22時05分14秒 | 読書記録2006
Rによる統計解析の基礎, 中澤港, (非売品), 2003年
・筆者による山口県立大学での『統計学』講義のテキスト。 http://phi.med.gunma-u.ac.jp/stat.html よりPDFファイルとしてダウンロード可能。また、同様の内容で書籍として出版されている[amazon]。
・様々な統計手法の理論と実用について浅く広く説明し、実際の計算は統計解析ソフトの'R'を使って計算させている。統計9割、'R' 1割程度の内容配分で、この本で'R'についてマスターすることを期待すると、あてが外れる。通常の『教科書』よりはやさしく書かれていて、私のような者にとっては非常に助かります。
・工学や理学系の学部ならともかく、福祉や看護系の学部向けとしては容赦のない内容。かなり内容を簡単にはしてあるが、それでもついていくのはキツイと思われる。
・「産業革命が進行する中,1834年,英国王立統計協会設立により,学問としての「統計学」が成立し,「人間に関係することがらで,数量で表現することが可能で,一般的な法則を導き出すのに十分なだけ積み重ねられたもの」と定義された。」p.9
・「もっとも広い意味で定義するならば,「不確実性を考慮した論理的推論」ということになるだろう。」p.9
・「データの分析技術としての統計解析は,一定の手順を踏んで行われる。箇条書きすると,以下のような手順が典型的と思われる。
 ・目的を明確にする
 ・生データをとる
 ・データ化(エディティング,コーディング,データ入力)
 ・データの図示(幹葉表示やヒストグラムなど)
 ・代表値(分布の位置やばらつきを示す値)の計算
 ・作業仮説の明確化(ここで因果関係についての仮説を立てることが多い)
 ・仮説検定や区間推定を行う(攪乱要因に配慮し,その影響を制御する必要がある)
 ・因果関係についての推論を行う(先行研究の知見なども総合する必要がある)
」p.11
・「ただし,もっともらしい仮定を導入して間隔尺度であるとみなし,平均や相関を計算することも多い。例えば,「好き」「普通」「嫌い」の3, 2, 1 とか,「まったくその通り」「まあそう思う」「どちらともいえない」「たぶん違うと思う」「絶対に違う」の5, 4, 3, 2, 1 などは本来は順序尺度なのだが,等間隔であるという仮定をおいて間隔尺度として分析される場合が多い。」p.29
・「偏差は正の値も負の値もとるが,その合計は0になるという特徴をもつ。どんな形をしたどんな平均値のどんなに標本数が多い分布だろうと,偏差の和は常に0である。」p.39
・「もし分布が正規分布ならば,Mean±2SDの範囲にデータの95%が含まれるという意味で,標準偏差は便利な指標である。」p.51
・「標本データの度数分布が,母集団について期待される分布と一致するという仮説(帰無仮説)が成り立っている確率を調べて,それが普通では考えられないほど小さい場合(通常は5%未満)に,滅多にないことだから偶然ではない(これを「有意である」という),と考えて帰無仮説を棄却する。」p.59
・「χ は「カイ」と発音する。英語ではchi-squareと書かれるので,英文を読むときに間違って「チ」と読んでしまうと大変恥ずかしい。」p.61
・「Fisherの正確な確率は仮定が少ない分析法で,とくにデータ数が少なくてカイ二乗検定が使えない場合にも使えるので,動物実験などでは重宝する。」p.72
・「調査データを分析する場合は母分散が既知であることはほとんどなく,これが普通である。」p.87
・「パラメータ(parameter)とは母数という意味である。これまで説明してきた検定法の多くは,母数,つまり母集団の分布に関する何らかの仮定をおいていた。その意味で,t検定もF検定もパラメトリックな分析法といえる。一方,フィッシャーの正確な確率は母数を仮定しないのでパラメトリックでない。ノンパラメトリックな分析とは,パラメトリックでない分析,つまり母数を仮定しない分析をさす。」p.93
・「Wilcoxonの順位和検定は,Mann-WhitneyのU検定と(見かけはちょっと違うが)同じ内容の検定である(詳しくは後述する)。」p.94
・「「有意水準を5%にする」とは,「帰無仮説が偶然に成り立つ確率が5%未満であれば,統計的に意味があるほど稀な現象なので帰無仮説は成り立たないとみなす」ということなので,「5%水準で有意でない」といえば,「帰無仮説が偶然に成り立つ確率が5%未満であれば,統計的に意味があるほど稀な現象なので帰無仮説は成り立たないとみなす,としたのに,データから計算するとその確率が5%より大きくなってしまったので,統計的に意味があるほど稀ではなく,帰無仮説が成り立たないとはみなせない」ということになる。」p.100 (゜Д゜)ハァ?
・「相関と回帰は混同されやすいが,思想はまったく違う。相関は,変数間の関連の強さを表すものである。回帰は,ある変数の値のばらつきが,どの程度他の変数の値のばらつきによって説明されるかを示すものである。回帰の際に,説明される変数を従属変数または目的変数,説明するための変数を独立変数または説明変数と呼ぶ。2つの変数間の関係を予測に使うためには,回帰を用いる。」p.119
・「時系列解析の本質的な難しさは,ここにある。システムの定常性を仮定できないのである。そうなると,シナリオを仮定したシミュレーション以外には手口はない。」p.137
・「フーリエ解析については,ヒッポファミリークラブによって作られた「フーリエの冒険」という素晴らしい入門書があり,お薦めである。」p.140 こんなところで『ヒッポ』の名が出てくるとは・・・
・「平均寿命とは0歳平均余命のことだが,これは,0歳児10万人が,ある時点での年齢別死亡率に従って死んでいったとすると,生まれてから平均してどれくらいの期間生存するのかという値である(誤解されることが多いが,死亡年齢の平均値ではないので注意されたい)。」p.141
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【本】神との対話

2006年12月17日 20時41分33秒 | 読書記録2006
神との対話 宇宙をみつける 自分をみつける, ニール・ドナルド・ウォルシュ (訳)吉田利子, サンマーク文庫 E-33, 2002年
(Conversations with God, Neale Donald Walsch, 1995)

・女優の奥菜恵さんが新聞記事のインタビューで座右の書としてこの本を挙げていたので興味を持ちました。特にファンだとかそういう訳ではないのだけれど。
・内容は題名そのまんま。なんと【神様】と会話してしまったその記録。神様はとっても気さくな方のようです。その語り口は平易ですが、なかなか難しい概念も扱っており、サラッと読んでハイお仕舞い!というタイプの本ではなく、読了後もいろいろ考えさせられます。もっとオカシな内容を予想していたのですが、けっこうマジメ。『神の名を借りて語られた人生訓』ということでその言葉を受け取っておきます。
・宗教的にかなり過激な発言も見られますが。。。著者の身は大丈夫なんだろうか。
・「おおぜいのひとが、この本のおかげで自分は変わったと語ってくれた。」p.8
・「"生徒の準備が整ったところで、教師が現れる"という古い格言がある。この本はあなたの教師なのだ。」p.9
・「①一冊目はおもに個人的なことがら、ひとりひとりの人生における、課題と機会について。  ②二冊目はもっと世界的なことがら、地球上の地政学的、形而上学的な生活について、世界が直面している課題について。  ③三冊目はさらに高い秩序、宇宙の真実について、そして魂の課題と機会について。  本書はそのうちの一冊目で1993年2月に完成した。」p.10
・「さて、皮肉なことに、あなたがたは神の言葉ばかりを重視し、経験をないがしろにしている。」p.21
・「わたしからのいちばん力強いメッセージは経験だ。ところが、それさえ、あなたたちは無視する。とくに、経験を無視する。」p.23
・「言葉は真実の伝達手段として、いちばんあてにならない。」p.28
・「正しい祈りとは、求めたりすがったりすることでは決してなく、感謝である。」p.32
・「支えとなる思考のなかで、「望みがかなっていない」という思いよりももっと力強いのは、「神は必ず求めるものを与えてくれる」という信念、それだけだ。その信念をもっているひともいるが、非常に少ない。」p.34
・「神があなたがたの人生すべての創造者であり、決定者であると信じているなら、それは誤解だ。」p.35
・「あらゆる生命の目的はひとつしかない。あなたがた、そして生きとし生けるものすべての目的は、できるかぎりの栄光を体験する、ということだ。」p.46
・「シェイクスピアはいみじくも言った。  「天と地のあいだには、おまえの哲学では及びもつかないことがあるのだ」と。」p.80
・「「正しい」とか「間違っている」とかは、ものごとの本質ではなく、個人の主観的な判断だ。その主観的な判断によって、あなたは自らを創り出す。個人的な価値観によって、あなたは自分が何者であるかを決定し、実証する。」p.87
・「それでは、明日、問題がなくなれば、神もいらなくなるんですね!
そのとうり。あなたの言うとおりだ。
」p.87
・「世界は明日にでも飢餓を終わらせることができる。あなたがたが、その選択をしないのだ。」p.89
・「もう一度念を押しておこう。偶然というものはないし、なにごとも「たまたま」起こったりはしない。」p.93
・「第一の法則は、あなたがたは自分が想像するとおりになれるし、想像するとおりのことができるし、想像するとおりのものをもてるということだ。第二の法則は、あなたがたは恐れ、不安に思うものを引き寄せるということだ。」p.96
・「愛は究極の現実だ。それが唯一であり、すべてだ。愛を感じるということは、神を体験することだ。」p.101
・「罪というものがあるとすれば、これがそうだろう。他人の経験で自分を創りあげてしまうことだ。」p.111
・「ところが皮肉なことに、わたしは礼拝を求めていない。あなたがたの従順は必要ないし、仕えてもらう必要もない。」p.114
・「訂正しよう。新約聖書の執筆者のほとんどは生きているキリストを見たことも、会ったこともない。彼らはイエスが地上を去ってから何年もたって生まれている。彼らはナザレのイエスに道で会っても、気づかなかっただろう。」p.117
・「⑧ときどき、自分が超能力者のような気が強くするんです。「超能力者」というのはいるんでしょうか? わたしがそうのですか?」p.125
・「あなたがたは、三層から成り立っている存在だ。<身体と精神と霊魂>とでできあがっている。これは<肉体、非肉体、超肉体>と呼んでもいい。この聖なる三位一体はいろいろな名前で呼ばれてきた。」p.128
・「どうすればいいのか、もっとよく教えてくれませんか?
よろしい。まず、最も気高い、こうありたいと思う自分を考えなさい。そして、毎日そのとおりに生きたらどうなるかを想像しなさい。自分が何を考え、何をし、何を言うか、ほかのひとの言動にどう応えるかを想像しなさい。
(中略)それには、とても大きな精神的、肉体的努力が必要になる。一瞬も怠らず、つねに自分の思考と言葉と行為を見張っていなくてはならない。つねに――意識的に――選択を続けなければならない。このプロセスは、意識的な人生への大きな一歩だ。」p.133
・「こうして永遠に話しあっても対話は終わらない。もうあとは「試してみるか、否定するか」だけが残されていると気づく時が、いつかはくる」p.137
・「人間にとっていちばんむずかしいのは、自分の魂の言うことを聞くことだ」p.140
・「だから、愛とは感情――憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望など――がないことではなく、あらゆる感情の総和だ。あらゆるものの集合、すべてである。」p.143
・「驚きました! 感動しましたよ!
神が感動させなくて、誰が感動させるのか。地獄の誰かかな?
」p.150
・「十戒などというものはない。」p.163
・「悟りとは、行くべきところもすべきこともないし、いまの自分以外の何者にもなる必要もないと理解することである。」p.169
・「人生の意味とは創造である。自分を創造し、それを経験することである。」p.179
・「人生には恐ろしいことは何もない。あなたが結果に執着しなければ。」p.188
・「もっとも、どれくらい長く努力してきたかは重要ではない。いま努力しているか、それだけが問題だ。」p.194
・「同じ意味で、神の最大の瞬間は、あなたがたが神を必要としないと気づいた時だ。」p.195
・「だが、人間関係の目的は、相手に満たしてもらうことではなく、「完全な自分」――つまりほんとうの自分という存在をまるごと――分かち合う相手をもつことだ。」p.211
・「最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。(中略)自分を愛していなければ、相手を愛することはできない。」p.213
・「パートナーになった二人は、一たす一はニより大きくなると期待したのに、ニより小さくなってしまったことに気づく。(中略)ほんとうの人間関係は、決してそんなものではない。」p.215
・「宇宙というのは、巨大なコピー機にすぎない。あなたの考えを何枚もコピーするだけだ。すべてを変える方法はひとつだ。あなたの考えを変えるしかない。」p.280
・「つまり支えになっている考えをいちばん速く変える方法は、「思考―言葉―行為」というプロセスを逆転させることだ。」p.281
・「ときどき、お話についていくのがむずかしくなります。
ときどき、あなたを導くのがむずかしくなる。
」p.284
・「あなたが、人生とは「行動すること」だと考えているなら、自分を理解していない。」p.292
・「覚えておきなさい。あなたは欲しがるものをもてないが、もっているものは何でも経験できるだろう。」p.302
・「何度も何度も表明された考えや言葉は、そのとおりに表わされる。つまり、外部へと押し出される。外部で現実化する。あなたの物理的な現実になる。」p.307
・「あなたはもう知っている。現実を変えるには、いままでのような考え方をやめればいい。  この場合、「成功したい」と考えるかわりに、「わたしは成功している」と考えることだ。」p.308
・「まず、ひとつはっきりさせておこう。あなたは病気を愛している。とにかく、その大半を愛している。自分を憐れんだり、自分に注意を向けるために、病気を利用してきたのだ。珍しく病気を愛していないことがあれば、それは病気が進みすぎたからである。病気を創りだしたとき予想した以上に、ひどくなってしまったからだ。」p.320
・「ひどいものだ。あなたが身体を酷使しているさまはほんとうにひどい。しかも、身体のためになることはほとんどしない。これを読んで、あなたはそのとおりと後悔してうなずくだろうが、またすぐに元に戻ってしまう。その理由がわかるだろうか?(中略)なぜなら、あなたには生きようという意志がないからだ。」p.325
・「イエスが完全であると誰が言ったのかね?」p.327
・「宗教というのは、言葉にならないものを語ろうという、あなたがたの試みだ。だが、あまりうまくいっていないね。」p.333
・「わたしがあなたにのぞかせたのは無限の――無限の愛の――ほんの一部でしかない(もっとのぞかせても、あなたにはわからないだろう。いまでさえ、ほとんど把握できないのだから)。」p.337
・「よろしい。では言っておこう。あなたはすでに神である。ただ、それを知らないだけだ。  わたしは、「汝らは神である」と言わなかったか?」p.345
・「⑫ほかの星に生命体はいるのですか?異星人が地球を訪れたことはあるんですか? いまも、わたしたちは観察されているのですか? わたしたちが生きているうちに、べつの星に生命体があるという――反論しようのない、決定的な――証拠を見ることはあるのでしょうか?(中略)最初の部分についてはイエスだ。第二の部分についてもイエスだ。第三の部分についてもイエスだ。だが第四の部分については答えられない。答えれば、未来を予言する事になる――わたしは予言はしない。」p.355 著者が挙げた13の神への質問の中では、この質問が一番興味あります。もし神様になんでも質問できるとしたら・・・なにがいいだろ・・・思い浮かばん・・・
・以下、解説(田口ランディ)より「問題は私がほんとうに神と会話したかどうかではなく、この本に書かれてあることのどれか一つでも、あなたが価値あるものと思ってくれたかどうかだと思うのです。」p.366
・「だから、私も『神との対話』は、これが真実かどうかについて問わない。そしてすべてを鵜呑みにしたりもしない。自分にとって価値があると思ったフレーズを、自分の側に置いている。」p.369
・「誤解の集大成こそが、実は世界じゃないのか。  私にはそう思える。というよりも、そういう世界のほうが好きだということだ。」p.372
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【本】キノの旅 the Beautiful World

2006年12月14日 20時19分36秒 | 読書記録2006
キノの旅 the Beautiful World, 時雨沢恵一, 電撃文庫 し-8-1, 2000年
・中高生など若い人の間で読まれる『ライトノベル』と呼ばれるジャンルの本。30過ぎのオッサンが手にする本ではありませんが、参考のため読んでみました。
・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)を身につけた少年(のように見える少女)キノが、言葉をしゃべるモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)のエルメスといろいろな国を旅する。古くは『ガリバー旅行記』、最近(?)では『銀河鉄道999』の形で話は進む。
・下を見てわかると思いますが、書き抜き箇所がゼロ!!なんにも残りません。心にひっかかる物がない。まさにライト!(軽い) これはこれで衝撃です。マンガでも心に残る名場面というものはあるものですが。このような本を読み漁る子供がいったいどう育っていくのか、ちょっと不安になります。太宰治や三島由紀夫を読み漁る中学生、てのもちょっと不健康な気はしますが、ライトノベルよりはよっぽどマシだと思います。 自身の『ライトノベル否定』を決定づけた一冊。
・写真:カバーの著者紹介写真。目もくらむようなセンス。
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【本】死を見つめる心の科学

2006年12月09日 18時55分05秒 | 読書記録2006
死を見つめる心の科学 生きるのは、あなたです, 荒金天倫 高田明和, 講談社ブルーバックス B-802, 1989年
・医学博士である高田明和氏と、末期ガンにもかかわらず精力的に活動する僧侶の荒金天倫氏との対談を中心に、科学と宗教の立場から『死』について考える。
・ブルーバックスもまた、きわどい内容の本を出したものですね。どうにか科学の話題もこじ入れていますが、かなり無理があります。荒金氏の語る、禅宗の考え方(天国も地獄も幽霊もない!!、八識、等々)については非常に興味深い。
・「量子力学の創始者ともいえるニールス・ボーアは1927年イタリアのコモにおけるボルタ会議で、有名なコペンハーゲン解釈を出しました。これによると「世界はシュレーディンガーの波動方程式が示す以上の事を示すことはできない。この方程式はcomplete(完全ですべて)だ」といっています。」p.9
・「第六識の「意識」から、第七が「末那識(まなしき)」といいまして、これは幼いときからずーっと知らず知らずに積み上げてきた記憶ですね、で、先生がいまおっしゃった阿頼耶識(あらやしき)というのはもっと先の第八識であって、(中略)心の本体。それをわれわれは心といっているんです。」p.29
・「政治家どもが(中略)わけわからずに禅の言葉を軽々しく使うので、世間に誤解を招いている。  それから、山田無文とか、そういう連中はいいですが、そのほかのカス坊主どもが、修行もしてなくて、人の本を読んだり人の話を聞いたりして、聞きかじりでしゃべるから、それで困るんです。」p.30
・「公私ともにきょうはいい日だったなあ、なんていうのは一年のうち二日か三日もあればいいほうなんです。あとは悪日の連続なんです。」p.32
・「心の本体というのは、喜びも悲しみも、そういうものも何もない。絶対無である、絶対空の世界。その無も空も、充実した無であり充実した空である。」p.35
・「彼の教えをうけていたボヘミアのエリザベス女王は1643年5月に手紙を書き、歴史に残る有名な質問をしたのです。  彼女は「なぜ人間の魂が身体の運動を決定出来るのか教えて下さい」とデカルトに問いました。」p.39
・「つまり五感で情報を得て、六識でこれをまとめ、心の本体(八識)に送るとき、第七識がこれを過去の記憶とか本能によりゆがめてしまう、というのです。」p.45
・「一方、仏教は宿命論(すべては決まっている)というものは取らないようです。」p.50
・「私は人生で最も大切なことは自信を持つことで、最も恐ろしいことは自信を失うことだと思っています。」p.68
・「そこで、ある人が「明るい心の持ち方」をたずね、それではどうしたらよいかと聞いた時、これに対する解答は、広い意味での宗教の立場になると思うのです。」p.77
・「寺山旦中という二松学舎大学の書道の先生は禅僧などの書を電顕で拡大しました。そして、気力を練った人の字は墨汁の粒子がきちんと整列しているといっています。」p.95
・「私は心の調和が自分にも、周囲にも大きな影響を与えることを信じて疑わないのです。」p.97
・「人間はどんなに修行してもこの因果の法則からは逃げられません。」p.102
・「よいことをする、悪いことをしない。そこへ引っ張り込むために、たとえを使われた。よく来世なんていうことをいいますが、それもたとえなんです。それで、地獄極楽なんていうことも、たとえに使われたことです。」p.106
・「われわれが一番大事なことは、「一丈を道取するよりは一尺を行取せよ」。一丈ほら吹くよりは一尺実行せい。言行一致ということが大事だ。」p.107
・「禅では「正法に不可思議なし」として迷信的なことを強く排する」p.110
・「老師は「自分の心で因果を選択できる」といっておられるのです。」p.121
・「ジャン・ジャック・ルソーはその著「エミールの序文で次のように述べています。「神は全ての者を善として創り給う。人はそれに手出しをして、悪にしてしまう」」」p.123
・「したがって「生」を本当に知るためには、「死」を見つめる必要があるといってよいのです。」p.132
・「古歌にも「人の世は みな嘘偽りに満ちけるに 死ぬことのみぞ 誠なりける」とありますが、死はある意味で、すべての人が人生でめぐりあう唯一の真実といえるかも知れません。」p.148
・「シュレーディンガーによれば、宇宙は知覚されない限り無数の可能性をもった存在です。しかし知覚されると、一つの結果しか存在しなくなります。彼は、宇宙を現実としているものは「自分」だということになる、といっているのです。」p.164
・「そんな非科学的なものじゃない、禅宗は。科学にもぴったり、医学にも合うし、ほかの宗教のような嘘をいわない。」p.175
・「ちょっとくらい体が悪くても仕事に打ち込んで、みんなから尊敬されていると長生きする、という統計が出たんです。」p.176

?あらやしき【阿頼耶識】 (梵Dlaya-vijnanaの訳。蔵識、真識、阿梨耶識、無没識などと訳す)仏語。唯識宗で説く八識の一つ。宇宙の万有を保って失わず、万有が展開する際の基体であり、万有を収蔵している心の主体。
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【本】ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論

2006年12月06日 22時24分21秒 | 読書記録2006
ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論, 立花隆, 文春文庫 た-5-8, 1999年
・著者の『本』に関する講演録や小文の寄せ集め。さすがに読書にかける情熱はハンパじゃありません。まだ50代というイメージでしたが今年で66歳、ともう結構なお年なのですね。
・「私の読書日記」では、おそらく百冊以上の本が紹介されているが、重なったのは『完全自殺マニュアル』と『トンデモ本の世界』のみで、他はかすりもしない。改めて本の世界の広さを実感する。
・「だいたいどんなジャンルでも、専門家というのは、インタビュアーがする質問によって、その問題に関してその人がどれだけの基礎知識を持っているかということをすぐに見抜きます。」p.15
・「ですから、客観的に見ると、ものすごく大変な生活で、自分自身こりゃ大変だと思うこともあるんですが、本心を言うと、実はそれほど大変じゃない。」p.20
・「インプットとアウトプットの比率は、少なくとも百対一くらいになると思います。」p.22
・「つまり、われわれ人類は、目の前の利益というのは何もないかもしれないけれども、とにかくあっちがどうなっているのか知りたい、行ってみたい、そういう基本的な欲求にしたがってサバンナへ出ていった猿の子孫なわけです。」p.28
・「人間のもつ「知的欲求」の根本にあるのは、実はアメーバですら持っている、周囲の環境を知りたいという欲求なわけです。」p.30
・「知識を分有することによってこの文明社会は何とかここまで維持発展されてきたのですが、その知識総量が多くなればなるほど、各人の分有する知識の幅は狭いものにならざるを得ません。」p.33
・「人間の精神、そして行動というのは、非常に大ざっぱな言い方をすると、このオートマトンの部分と、自動化されていない意識化された行動の部分と、二つの部分からなっているということが言えます。」p.36
・「人間の精神、人格というのは、ある意味で、その人の過去の記憶の総体によって作られているともいえるわけです。」p.38
・「その上で読書について話そうと思うのですが、まず読書を二つの種類に分けた方がいいのではないかと思います。  一つは読書それ自体が目的である読書、もう一つは読書が何らかの手段である読書という風に分けてみたいと思います。」p.44
・「文学離れの理由は簡単でして、要するに文学を読むことが面白くなくなったというにつきます。」p.46
・「要するに古典的な大学教養人が読書対象としてあげるような本以外の本は下らない本だという意識を、若いときは非常に強く持っていたんですけれども、読んでみると、ノンフィクションも大変面白いわけです。」p.46
・「びっくりするような古典の拡大が行われるわけですけれども、私は十九世紀文学というのは、はたして本当に人類にとって古典たりうるのかどうかという検証がまだ終わっていないというふうに考えた方が正しいのではないかと思います。」p.53
・「一人一人が現在の人類の知の総体がどういう方向にいま発展しつつあるかということに広く関心を持つことこそが、現代における最も有意義な読書活動ではないか」p.62
・「大学教育を受けた人ならたいてい覚えがあるはずだが、授業で得た知識より、自分で本を読んで得た知識のほうがはるかに大きいものだ。(中略)ある程度の方法論さえ身につけてしまえば、たいていの学問は独学可能である。」p.66
・「本は粗末に扱ったほうが役に立つ。後で古本屋に売るときのためにきれいにしておこうなどとケチなことは考えないほうがよい。」p.80
・「大学で得た知識など、いかほどのものでもない。社会人になってから獲得し、蓄積していく知識の量と質、特に、20代、30代のそれが、その人のその後の人生にとって決定的に重要である。若いときは、何をさしおいても本を読む時間をつくれ。」p.85
・「私の好みの書斎の条件は、①外界から隔絶された、②狭い、③機能的に構成された、空間である。」p.90
・「8段の書架が28箇分である。それに本が全部つまった場合、書架本体の重量と合わせて、正確な数字は覚えていないが、軽く10トンは越えるという計算になった。」p.94
・「総計70書架分余が手持ちの書物の総計ということになる。」p.95
・通称『ネコビル』[写真(画・妹尾河童)]について「本を置くことが主目的だから、とにかく頑丈に作った。施工業者が、こんな頑丈なビルは作ったことがないというほど頑丈に作った。」p.105
・「――ご自分でも詩を書いたりなさってたんですか。
立花 書いてました。その内のひとつを池辺晋一郎という作曲家が――ぼくと同郷で、子供の頃からよく知ってるんだけど――曲をつけてくれた。
」p.129
・「読まないと文章って書けないからね。まず消費者にならないと、ちゃんとした生産者になれない。それと、文学を経ないで精神形成をした人は、どうしても物の見方が浅い。」p.134
・「僕は基本的に哲学的人間なんです。人間とは何か、世界とは何か、存在とは何か、いかに生きるべきか。昔からいつでもそういう哲学的な基本命題のまわりをグルグルまわりながら考えていた。」p.137
・「本というのは、はじめから終わりまで読むべき本と、必要なところだけ拾い出して読めばいい本とある。」p.156
・「――立花さんは、傍線を引いたところは全部覚えてしまうという伝説がありました。
立花 どうかな、それは(笑)。若い頃はどの本の何ページあたりに何があるというのは結構覚えてたけど。
」p.157
・「一般の読書家というのは、だいたい人文系の教養書の読書家であって、科学書、技術書なんてほとんど読まないでしょう。一方、科学技術系の人は、一般教養書をほとんど読んでいない。(中略)両方の素養がある人は本当に少ないですね。」p.158
・「僕はね、若い時に人が推薦するような本を読んで、よかった記憶ってないんです。」p.169
・著者の中学3年時の作文『私の読書を顧みる』の書き出し 「僕は以前から、といっても生れた時からではないが、読書が好きだった。勿論いまも好きだ。」p.171
・中学3年生の感想 「ノーベル文学賞候補という、「蓼食う虫」には「これがねえ」と思った程だ。それ程とは思えなかった。」p.177
・「ぼくはより多く見るために、より少く見ようと決心した。」p.184
・以下、週刊文春に連載された「私の読書日記」より。
・「自国の文化遺産(春画)を外国に行かないとコピーですら見られないというのは、やはり恥ずかしいことなのではないか。」p.211
・「本書はこの定説に疑いを投げ、それらの炭化水素(化石燃料)は、生物起源ではなく、宇宙起源であり、地球誕生以来、地球の深層に閉じ込められているものではないかと説く。」p.212
・「原始的な生物とちがって、哺乳類は進化速度が速く、一つの属が生まれて滅亡するまでの平均寿命は八百万年だという。」p.230
・「グールドの天才ぶりを示すエピソードは無数にあるが、グールドはどんな曲でも初見で弾けたし、初見で暗譜してしまったという。彼の頭の中にはあらゆるピアノ曲ばかりか、たいていの管弦楽曲やオペラのスコアも入っており、オペラの全部のパートをピアノを弾きながら歌うことができた。しかも、暗譜するのに精神集中はいらなかった。人としゃべりながらでも覚えられたし、FMラジオで音楽を、AMラジオでニュースを同時に聞きながらシェーンベルクの作品のスコアを覚えてしまったこともあるという。」p.231
・「書物に関しては、こんな言葉もある。 「これほど良書が少ない理由は、本を書く人間がろくろく物をしらないからだ」(ウォルター・バジョット) 全く同感である。」p.235
・「たしかに現代宇宙論には、この著者が指摘するように、怪しげな部分がかなりある。しかし、アカデミズムにおいては、依然としてビッグバン理論が主流である。」p.238
・「私は、朝日ジャーナルが好きだったので、それをつぶした人間に怒りをおぼえていた。私が見るところ、どう考えても朝日ジャーナルをつぶしたのは、下村満子編集長である。彼女の編集長としての能力の欠如があの雑誌をつぶしたのである。」p.243
・「三つ子、四つ子という多胎児は困るというので、妊婦の腹部に針を刺し、一人か二人の胎児に塩化カリウムを注入して殺す"減数手術"なるものが行われている。重度の奇形児が生れると、生きたまま氷漬けにしてしまって、"死産"ということにすることなど驚くべき事実が紹介されている。」p.267
・「最近評判の鶴見済『完全自殺マニュアル』(太田出版)を読んでみた。どうせ水準の低いハウツー本だろうと思っていたのだが、なかなかどうして、これが面白いのである。実によく調べて、各種の自殺法を懇切丁寧に図解入りで書いている。内容は科学的で、信頼性が高い。(中略)説教じみたところが皆無で、淡々と無感情に書いているところがいい。」p.279 これまで読んだ本のなかでは衝撃度No.1。
・「日本では、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」を聞く人は沢山いても、それがティルソ・デ・モリーナの「セビーリャの色事師と石の招客」をもとにして作られたものであることを知る人は少ないだろう。」p.283
・「おならにまつわる話を集めただけなのだが、想像を絶するようなエピソードが沢山ある。1978年には、デンマークで、腹部の手術を受けていた患者の結腸にたまっていたおならが、電気メスの熱で大爆発し、敗血症で死んでしまったという。」p.286
・「しかしムーディ博士は、セッティングに工夫をこらせば、ほとんど誰でも鏡の中に幻像、それも死んだ人の幻像を見ることができるようになることを発見して、通算300人以上の被験者にそれを体験させたのである。」p.317
・「世の中には頭がおかしいとしか思えない人が沢山いて、信じられないほどバカバカしい内容の本を堂々と出版している。頭がおかしい人にも言論の自由はあるから、それはそれでいいのだが、世の中にはまた頭が弱い人が沢山いて、そういう本を大真面目に信じこんでしまうから困ってしまうのである。 と学会・編『トンデモ本の世界』(洋泉社)は、そういうバカゲた本をまとめてあげつらった本である。」p.344
・「たとえば、移植用の臓器売買は、先進国では禁止されている国が多いが、インド、アフリカ、中南米、東ヨーロッパなどでは認められている。(中略)パキスタンでは、腎臓病患者が、最高4300ドルの買い値で「求腎」広告を出すことが許されている。」p.349
・「いまでは十字架というと、キリスト教のシンボルとみな思いこんでいるが、三世紀までは十字架は異教徒のシンボルで、キリスト教会からは排斥されていた。」p.359

?こうかん【浩瀚】 広大なさま。特に、書物などの量の多いさま。また、書物が大部であるさま。「浩瀚なる史書」
?しょうやく【抄訳】 原文を一部分省略して翻訳すること。また、その訳文。⇔完訳
?こけい【孤閨】 女性、特に人妻のひとり寝の部屋。転じて、夫が長い間家に居ないで、妻が家を守る状態にあること。「孤閨を守る」
?アンピュティ(英amputee) 切断手術を受けた人。

チェック本
・服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』中公新書
・チェリー・ガラード 『世界最悪の旅』中公文庫
・荒俣宏『本の愛し方人生の癒し方 ブックライフ自由自在』集英社文庫
・浜田幸一『新版 日本をダメにした九人の政治家』講談社文庫
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【本】徹底検証 大学法人化

2006年12月02日 17時43分49秒 | 読書記録2006
徹底検証 大学法人化, 中井浩一, 中公新書ラクレ 147, 2004年
・自分にとって身近な問題であったはずのに、ただ流されるまま現在に至る。今ごろになってこんな本を読んでみた。このような政治・行政の分野は苦手です。ぅぁ~~漢字が多い~ややこしぃ~ 『徹底検証』と銘打っているだけあって広く取材してあり、大学法人化までの流れを把握できるしっかりした内容だと思います。類書を読んでいないのであまりハッキリしたことは言えませんが。しかし、一番知りたい『この先どうなるか』については全くわからず。まぁ、この情報をもとに自分で考えるしかないんでしょうね。
・『国立大学法人』と『独立行政法人』の区別すらついていなかったことが判明。読み終わった今でも区別ついてませんが。これを説明するだけで、本が一冊書けてしまうくらいなのでしょうね。きっと。それほど世の中の仕組みは複雑であることだけは、この本を読んでなんとなく分かりました。
・「国立大学の法人化問題は、国民の関心を引きつけられなかったようです。大学問題、ましてやその設置形態の問題など、一般の人にとってはあまりに遠い世界の出来事に思われたのでしょう。」p.4
・「しかしそもそも国立大学の教員たちは、はたしてこれまで、自分たちを「公僕」と考えたことがあったのでしょうか。「サービス」という観点を持っていたでしょうか。いやいや、実際はその逆だったのです。「安定」はともかく、自分の研究のことしか考えていなかった人がほとんどです。」p.6
・「ところで、こうして生まれた江崎学長の下での新たな改革は成功したのでしょうか。残念ですが、筑波大学はほとんど何も変わらなかったのです。それほどに日本社会の病は重いということなのでしょう。」p.7
・「彼は1997年当時、次のように国立大学のある教員から言われた。  「大学改革は墓場の移転と一緒で、永遠にできっこない。大学関係者っていうのは、もう何回も戦後改革の波を乗り越えてきている。常に頭を低くして、嵐が過ぎるのを待つ。そして結局何も変わらない。期待しないほうがいいよ」」p.11
・「文科省からの自立とはいっても、税金を使うという面は変わらないため、国の管理から完全に切り離されるわけではない。大学運営の指針となる六年単位の「中期目標」は文科省が制定。大学側は原案を示せるだけだ。大学は中期目標に基いて「中期計画」を作成、文科省の許可を受ける必要もある。」p.13
・「「これまで学長は『お飾り』でよかった。これからは実質的な経営者となる。それに合う人材でないと大学が困る」」p.21
・「国立大は法人化でやっと『国鉄』です。本当に競争力が付くのは、さらに進んで民営化した時でしょう」p.35
・「国立大学法人化実現の背景には、「行政改革」の巨大な流れと、産業再生のための構造改革の動きとがあった。」p.49
・「なぜならば、筑波大学こそ、約30年前に「新構想大学」として従来の国立大学の機構改革を実際に断行した、唯一の壮大な実験だったからだ。それは今日の「法人化」の30年早い先取りであり、90年代の「大綱化」以降の「教養部改革」「大学院重点化」による大改革の20年早い先取りだったと言えるのだ。」p.65
・「国大協は、根本の議論を避け、改革の火の粉が我が身に及ぶことだけを避けようとしていた。こうした無責任体質は、今回の国立大法人化の経緯でもほとんど変わっていないのではないだろうか。」p.81
・「なあなあでやってきた大学人にとって、評価されることへの抵抗は大きい。」p.91
・「平たく言えば、筑波大学は30年かけて「普通の大学」に戻ったということだ。」p.103
・「筑波大学の経験からは、法人化の成否は以下のようになるだろう。  人々の意識が、従来のコンセンサス方式、「全会一致」主義を克服できるかどうか。」p.115
・「国立大と文部省の関係は、文部省は他から国立大を守る立場、国立大は文部省に守ってもらう立場なのだ。例えば、経産省から守ってくれるのが文部省だ。つまり「持ちつ持たれつ」の関係だ。私はそれを、子離れできない「過保護ママ」と、不平不満を言いながらも自立できない「甘ったれ坊や」の関係と言っている。」p.150
・「ここに、今回の大きな問題が見える。つまり、大学政策という、国家の教育政策の根幹に関わる問題を決める際にも、その大学全体の政策を議論することもできないまま、国立大学の独法化(法人化)だけが決定されたのだ。」p.171
・「大学とは、一見最先端の科学的で合理的な世界のように見えながら、実は、こうした怨念がうずまき怨霊が跋扈する「闇の世界」であり、「陰陽師」を必要としているのだ。」p.177
・「大学改革は、つねに、理工系の教員、執行部が中心になって動いてきた。文系の教員たちはほとんど常に、「守旧派」だ。それが、この法科大学院で大きく様変わりする可能性がある。」p.190
・「結果は、またしても「一斉・一律・横並び」であった。(中略)まず、国立大のすべてが、04年4月に一斉に法人化されたことを言う。従来のまま留まるところもあって良かったし、むしろ民営に走るところがあっても良い。独法で実施するところもあって良い。こうした選択がなく、すべてが国立大学法人だ。  また、その法人の中身も、一斉横並びなのだ。」p.204
・「「国立大学協会(以下、国大協と略)にはなんの権限もない。真空のようなもの」といった見解がある。法人化問題を前にして「何もできなかった」「無為無策」「攻めることは何もできなかった」と激しい批判を受けたのは、今回は国大協だった。」p.211
・「日本の国立大学の学長とは名誉職であり、誰がやっても何も変わらない。何もしないことこそが、多くの学内者から求められたころだった。事実たいした権限がなかった。したがって、彼らには、国大協で個人的見解を述べることはできても、大学全体を代表する力はないのだ。」p.212
・「国立大には大きな問題がある。その改革案として「法人化」や「遠山プラン」があるのだから、それに反対するのなら、代案を出すべきだ。そして彼らの示した代案が「国立大学地域交流ネットワーク」だったのである。」p.235
・「東大を中心にすべては回る。それが今回も繰り返された。賛成派も、反対派も、東大が代表する。他は東大を見て、右へならう。東大型の一斉横並び。それが日本社会のあり方だ。」p.251
・「国立でも民営化でもない法人化では、民間企業並みの煩瑣な予算手続きと官庁なみの情報公開を求められて、ただでさえ事務作業量の増加で悩んでいるところに、また余計な案件がふってきたというのが、正直な実感です」p.270
・「一方、「文科省のやつらは馬鹿ばっかり」といった経産省の若手による挑発文がネット掲示板「2ちゃんねる」などで大量に流されている。」p.283
・「澤は、国立大学の問題を二つ挙げる。一つは講座制などのピラミッド型組織の問題。もう一つは行政システムの問題。」p.286
・「先に述べたように、組織の問題は複雑で、縦割り行政の壁は厚い。ところが、独法化は、そう言った問題をいっぺんに解決できるツールだった。「ですから国立大学にもずっとお薦めしてきたわけです」。  そのメリットは三つある。予算執行の自由、組織編成の自由、人事管理の自由だ。」p.288
・「結局、予測可能性と不可能性の問題なのです。どんなに良い制度でも、予測ができない制度は不安だし嫌なのです。嫌な制度でも、慣れていて予測できる方を選びたいようです。」p.295
・「「俺たちが日本を支えている」。彼らのエリート意識は強烈だ。他への蔑視も激烈だ。「文科省の局長クラスでは、経産省の課長も務まらない」。」p.310 経産省てスゲー省庁なのですね。そんな事も知らない行政音痴。
・「経産省の行動は、基本的に「問題提起型」だ。現状に異議申し立てをするのが仕事なのだ。一方、他の官庁は、基本的に「現状維持型」と言える。」p.311
・「「肝心な点や核心部分がぼかされている」。国立大学法人化の問題を調べていると、こうした感想を持つようになる。  立場の如何を問わず、こうした傾向がある。」p.338

?エピゴーネン(ドイツEpigonen)学問、思想、芸術などで、まねをするばかりで独創性のない人。模倣者。
?かし【瑕疵】 1 きず。欠点。また、あやまち。  2 法律で、通常あるべき品質を欠いていること。
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