文学入門, 桑原武夫, 岩波新書 (青版)34(E1), 1950年
・あまりにシンプル、かつ強烈なインパクトを与え、ツッコミどころの多い書名に惹かれ思わず手にとってしまった書。内容はなんのことはない、小説(世界的名著)の読書のススメ。しかし恐ろしく密度の濃い本です。180ページ程と薄めだったので気軽に読み出したところ、読むのになかなか骨が折れました。
・最終章『アンナ・カレーニナ』読書会の模様にて、そこで交わされるあまりに高尚な会話に目が回る。こんな読書会、無理無理。
・「文学は人生に必要か、などということは問題にならない。もしこのような面白い作品が人生に必要でないとしてら、その人生とは、一たいどういう人生だろう! この傑作を読んだことのある人なら、おそらく私とともに、そういいたくなるだろう。そして文学の傑作は、『アンナ・カレーニナ』だけではないのだ。」p.2
・「人々は何のために文学を読むのか? 修養、教養、美意識の向上、趣味の向上、等々のため、と答える人もあろうが、そしてそれは偽りではなく、文学はそうした役目をはたしはするが、大多数の人々は、文学が面白いからこそ、強制もされないのに進んで読むのである。」p.6
・「なお文学は、大都会以外に生活する人々にとっては、唯一の真正の芸術品だという事情を知っておく必要がある。地方では、展覧会、演劇、舞踊、音楽会等はほとんどなく、あっても調子をおろしたものである。レコード、ラジオ、美術品の複製などはあるが、要するにもとのままではなく間接的である。文学作品のみが、地方でも都会と全く同じ形で、本ものに接しうる。」p.8
・「それは文学は面白いという点において、囲碁、将棋、茶番などと似てはいるが、文学の面白さは人生そのものに緊密に結びついているからである。」p.9
・「たとえというものは必然的に一面的であって、たとえで議論をすすめることはつねに危険である。たとえをすてよう。」p.10
・「要するに、読者は面白さを求めるが、作者は読者を面白がらせようとしてはならないのである。これは矛盾のようだが、真の文学者とは、そうした矛盾を背負わされた人間なのであり、文学者が悲劇的といわれる理由の一つもそこにある。」p.11
・「よき行動とよき人生を生み出すためには、さらに人生にインタレストをもち、感動しうる心と、つねに新しい経験を作り出す構想力とが必要である。ところが人はこの二者の重要性を忘れ、その正しい養成をややともすれば怠りがちである。しかもその二つのものなくしては、明日のよき生活の建設は決してありえないのである。」p.24
・「文学以上に人生に必要なものはないといえる。」p.26
・「ここで私は、まず、トルストイが『芸術とはなにか』(河野与一訳・岩波文庫)の中で、芸術品に不可欠の資格として要求した三つのもの――新しさ・誠実さ・明快さ――を借用することにする。」p.28
・「報告だが、真にすぐれた文学は題材の新しさのほかに、発見をもっている。つまり、その作品が現れるまでは何人にも、その作品によって示されたものの存在、むしろ価値が全く気づかれずにいたのが、一たびその作品に接した後では、いままでそれに気づかなかったことがむしろ不思議とさえ感じられる、そうした気持を読者に抱かしめるものをもっている。」p.35
・「トルストイは、万人に理解できぬような芸術作品は無価値であるといった。この大胆な提言は二十世紀美学における最も重大な問題を差出したものといえる。」p.41
・「日本は三百年の鎖国と停滞とのために、民族がいわば一家族のようになった面がある。わずか十七字で無理な省略法を行なう俳句のようなものが文学となりえたのは、その「共通なもの」の過度の存在のためであろう。」p.43
・「すべて発見者の仕事には一種の難解さがある。これを在来の文学観から明快さを欠くといって、否定することは、新しさを求める文学の本質と矛盾することとなるだろう。」p.47
・「これを要約すれば、すぐれた文学とは、われわれを感動させ、その感動を経験したあとでは、われわれが自分を何か変革されたものとして感ぜすにはおられないような文学作品だ、といってよい。」p.60
・「すぐれた文学と通俗文学との差異はどこにあるか? もちろん両者の中間にある文学もあるが、両極において、その差異を考えてみれば、一言でいって、前者が人生において一つの新しい経験を形成にしているのに対して、後者は新しい経験を形成していない、ということである。」p.63
・「文学者の偉大さとは、彼がその胸の中にいかに多くの人間を生かしうるかによって定まるといえる。日本の純文学者も自己の孤独の誠実の道をたどってはいる。ただ不幸にして彼らの胸の中には彼一人しかいないのだ。」p.64
・「すぐれた文学は生産的、変革的、現実的、といえる。」p.65
・「以上のことを山登りにたとえてみれば、すぐれた文学は初登攀であり、通俗文学はハイキングである。(日本独特の私小説は、自分の家の庭ばかり見ている人といえるだろう。)」p.67
・「不利な状況においても抵抗をこころみるもののみが、批評家の名に価する。」p.91
・「作品を売りつつ、しかも商業主義に対する抵抗を放棄しないという、この矛盾を切りぬけるもののみが真の文学者である。」p.93
・「日本のみならず、一般に東洋の文学には、社会からの逃避の傾向がつよい。中国では隠逸、日本では世捨人である。」p.98
・「要するに、詩の鑑賞は予備的教養ないし訓練を必要とする。」p.108
・「私は、まず散文から入って、次第に詩・戯曲に及ぶのが、近代文学への大道だと信じる。」p.110
・「物語は、日常生活をはなれた何か異常な出来事を物語るものであって、そこでは事件にあやつられる人物よりも、事件そのものに興味の中心がおかれる。小説は、日常の世界を描くものであり、たとえ異常な事件があっても、それは日常生活と同じ原理をもって解しうるものとして現れている。そこでは事件そのものよりも、作中人物に重点がかかり、全体は特異な個性による世界発見という形をとる。」p.111
・「日本では各人が、それぞれ「独自性」を発揮して読書の選択をしている。だから、ものを書くときでも、議論するときでも、こちらの読んでいるものはあちらが知らず、あちらの読んでいるものはこちらが知らず、共通の地盤がない。」p.116
・「日本でも、各部門ごとにこうした必読書のリストを作成することが、新制大学の教養課程においてなさるべき、第一の仕事と思われる。」p.118
・「大きな長もちのする独自性を養おうとするものは、まずその基盤として、共通なものを身につけることが、大切であろう。」p.119
・「国民の文化教養における「共通なもの」の必要はいうまでもない。そして、普遍を通過せぬ独自性というものはありえない。その意味で、読書の基準化ということは、今の日本に最も大切なことと考え、その試みの一つとして「世界近代小説五十選」をつくってみた。」p.129
・「使う材料は、トルストイの『アンナ・カレーニナ』、中村融さんの訳です。この小説は、ドストイェフスキイも、芸術として完全だ、ヨーロッパ文学中これに匹敵しうるものは何もない、とまでいっていますし、また、この間お目にかかった志賀直哉さんも、近代小説の教科書といっていい、ともらされておりますし、これを選んだことは、お認め願えるかと思います。」p.132
・「リアリズムというのは、ものを目に見えるように描写するというより、むしろ、ものを見たかのように意識させる方法といえましょう。」p.134
・「はじめから理屈ばかりを考えるのなら、小説を読む楽しみはどこにもない。小説はまずすなおに、つぎつぎと現われてくる場面を一々感覚と理知とで、つまり生きた私たちの身体全体でうけとめる、そういうものです。」p.140
・「偉大な作品は、それを読んだあとではどんな偉い批評家の説をよんでも、きっとそれに満足させないだけのものをもっているのです。」p.171
世界近代小説五十選
イタリー
1 ボッカチオ『デカメロン』
スペイン
2 セルバンテス『ドン・キホーテ』
イギリス
3 デフォオ『ロビンソン漂流記』★
4 スウィフト『ガリヴァー旅行記』★
5 フィールディング『トム・ジョウンズ』
6 ジェーン・オースティン『高慢と偏見』
7 スコット『アイヴァンホー』
8 エミリ・ブロンデ『嵐が丘』★
9 ディケンズ『デイヴィド・コパフィールド』
10 スティーブンスン『宝島』★
11 トマス・ハーディ『テス』
12 サマセット・モーム『人間の絆』
フランス
13 ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』
14 プレヴオ『マノン・レスコー』
15 ルソー『告白』
16 スタンダール『赤と黒』
17 パルザック『従妹ベット』
18 フロベール『ボヴァリー夫人』
19 ユゴー『レ・ミゼラブル』
20 モーパッサン『女の一生』
21 ゾラ『ジェルミナール』
22 ロラン『ジャン・クリストフ』
23 マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』★
24 ジイド『贋金つくり』
25 マルロオ『人間の条件』
ドイツ
26 ゲーテ『若きウェルテルの悩み』★
27 ノヴァーリス『青い花』
28 ホフマン『黄金宝壺』
29 ケラー『緑のハインリヒ』
30 ニーチェ『ツアラトストラかく語りき』
31 リルケ『マルテの手記』
32 トオマス・マン『魔の山』
スカンヂナヴィア
33 ヤコブセン『死と愛』(ニイルス・リイネ)
34 ビョルンソン『アルネ』
ロシア
35 プーシキン『大尉の娘』
36 レールモントフ『現代の英雄』
37 ゴーゴリ『死せる魂』
38 ツルゲーネフ『父と子』
39 ドストエーフスキイ『罪と罰』★
40 トルストイ『アンナ・カレーニナ』
41 ゴーリキー『母』
42 ショーロホフ『静かなドン』
アメリカ
43 ポオ短編小説『黒猫』『モルグ街の殺人事件・盗まれた手紙他』
44 ホーソン『緋文字』
45 メルヴィル『白鯨』
46 マーク・トウェーン『ハックルベリィフィンの冒険』
47 ミッチェル『風と共に去りぬ』★
48 ヘミングウェイ『武器よさらば』
49 ジョン・スタインベック『怒りのぶどう』
中国
50 魯迅『阿Q正伝・狂人日記他』
・多少長くなりましたが、本書は現在絶版であること、またその価値があるものと考え『世界近代小説五十選』も書き抜きました。私が読んだ本には★印。たったの8冊。。。とてもじゃないが『本好き』とは口が裂けても言えないお粗末さ。気長に50タイトル完読!目指したいと思います。
・あまりにシンプル、かつ強烈なインパクトを与え、ツッコミどころの多い書名に惹かれ思わず手にとってしまった書。内容はなんのことはない、小説(世界的名著)の読書のススメ。しかし恐ろしく密度の濃い本です。180ページ程と薄めだったので気軽に読み出したところ、読むのになかなか骨が折れました。
・最終章『アンナ・カレーニナ』読書会の模様にて、そこで交わされるあまりに高尚な会話に目が回る。こんな読書会、無理無理。
・「文学は人生に必要か、などということは問題にならない。もしこのような面白い作品が人生に必要でないとしてら、その人生とは、一たいどういう人生だろう! この傑作を読んだことのある人なら、おそらく私とともに、そういいたくなるだろう。そして文学の傑作は、『アンナ・カレーニナ』だけではないのだ。」p.2
・「人々は何のために文学を読むのか? 修養、教養、美意識の向上、趣味の向上、等々のため、と答える人もあろうが、そしてそれは偽りではなく、文学はそうした役目をはたしはするが、大多数の人々は、文学が面白いからこそ、強制もされないのに進んで読むのである。」p.6
・「なお文学は、大都会以外に生活する人々にとっては、唯一の真正の芸術品だという事情を知っておく必要がある。地方では、展覧会、演劇、舞踊、音楽会等はほとんどなく、あっても調子をおろしたものである。レコード、ラジオ、美術品の複製などはあるが、要するにもとのままではなく間接的である。文学作品のみが、地方でも都会と全く同じ形で、本ものに接しうる。」p.8
・「それは文学は面白いという点において、囲碁、将棋、茶番などと似てはいるが、文学の面白さは人生そのものに緊密に結びついているからである。」p.9
・「たとえというものは必然的に一面的であって、たとえで議論をすすめることはつねに危険である。たとえをすてよう。」p.10
・「要するに、読者は面白さを求めるが、作者は読者を面白がらせようとしてはならないのである。これは矛盾のようだが、真の文学者とは、そうした矛盾を背負わされた人間なのであり、文学者が悲劇的といわれる理由の一つもそこにある。」p.11
・「よき行動とよき人生を生み出すためには、さらに人生にインタレストをもち、感動しうる心と、つねに新しい経験を作り出す構想力とが必要である。ところが人はこの二者の重要性を忘れ、その正しい養成をややともすれば怠りがちである。しかもその二つのものなくしては、明日のよき生活の建設は決してありえないのである。」p.24
・「文学以上に人生に必要なものはないといえる。」p.26
・「ここで私は、まず、トルストイが『芸術とはなにか』(河野与一訳・岩波文庫)の中で、芸術品に不可欠の資格として要求した三つのもの――新しさ・誠実さ・明快さ――を借用することにする。」p.28
・「報告だが、真にすぐれた文学は題材の新しさのほかに、発見をもっている。つまり、その作品が現れるまでは何人にも、その作品によって示されたものの存在、むしろ価値が全く気づかれずにいたのが、一たびその作品に接した後では、いままでそれに気づかなかったことがむしろ不思議とさえ感じられる、そうした気持を読者に抱かしめるものをもっている。」p.35
・「トルストイは、万人に理解できぬような芸術作品は無価値であるといった。この大胆な提言は二十世紀美学における最も重大な問題を差出したものといえる。」p.41
・「日本は三百年の鎖国と停滞とのために、民族がいわば一家族のようになった面がある。わずか十七字で無理な省略法を行なう俳句のようなものが文学となりえたのは、その「共通なもの」の過度の存在のためであろう。」p.43
・「すべて発見者の仕事には一種の難解さがある。これを在来の文学観から明快さを欠くといって、否定することは、新しさを求める文学の本質と矛盾することとなるだろう。」p.47
・「これを要約すれば、すぐれた文学とは、われわれを感動させ、その感動を経験したあとでは、われわれが自分を何か変革されたものとして感ぜすにはおられないような文学作品だ、といってよい。」p.60
・「すぐれた文学と通俗文学との差異はどこにあるか? もちろん両者の中間にある文学もあるが、両極において、その差異を考えてみれば、一言でいって、前者が人生において一つの新しい経験を形成にしているのに対して、後者は新しい経験を形成していない、ということである。」p.63
・「文学者の偉大さとは、彼がその胸の中にいかに多くの人間を生かしうるかによって定まるといえる。日本の純文学者も自己の孤独の誠実の道をたどってはいる。ただ不幸にして彼らの胸の中には彼一人しかいないのだ。」p.64
・「すぐれた文学は生産的、変革的、現実的、といえる。」p.65
・「以上のことを山登りにたとえてみれば、すぐれた文学は初登攀であり、通俗文学はハイキングである。(日本独特の私小説は、自分の家の庭ばかり見ている人といえるだろう。)」p.67
・「不利な状況においても抵抗をこころみるもののみが、批評家の名に価する。」p.91
・「作品を売りつつ、しかも商業主義に対する抵抗を放棄しないという、この矛盾を切りぬけるもののみが真の文学者である。」p.93
・「日本のみならず、一般に東洋の文学には、社会からの逃避の傾向がつよい。中国では隠逸、日本では世捨人である。」p.98
・「要するに、詩の鑑賞は予備的教養ないし訓練を必要とする。」p.108
・「私は、まず散文から入って、次第に詩・戯曲に及ぶのが、近代文学への大道だと信じる。」p.110
・「物語は、日常生活をはなれた何か異常な出来事を物語るものであって、そこでは事件にあやつられる人物よりも、事件そのものに興味の中心がおかれる。小説は、日常の世界を描くものであり、たとえ異常な事件があっても、それは日常生活と同じ原理をもって解しうるものとして現れている。そこでは事件そのものよりも、作中人物に重点がかかり、全体は特異な個性による世界発見という形をとる。」p.111
・「日本では各人が、それぞれ「独自性」を発揮して読書の選択をしている。だから、ものを書くときでも、議論するときでも、こちらの読んでいるものはあちらが知らず、あちらの読んでいるものはこちらが知らず、共通の地盤がない。」p.116
・「日本でも、各部門ごとにこうした必読書のリストを作成することが、新制大学の教養課程においてなさるべき、第一の仕事と思われる。」p.118
・「大きな長もちのする独自性を養おうとするものは、まずその基盤として、共通なものを身につけることが、大切であろう。」p.119
・「国民の文化教養における「共通なもの」の必要はいうまでもない。そして、普遍を通過せぬ独自性というものはありえない。その意味で、読書の基準化ということは、今の日本に最も大切なことと考え、その試みの一つとして「世界近代小説五十選」をつくってみた。」p.129
・「使う材料は、トルストイの『アンナ・カレーニナ』、中村融さんの訳です。この小説は、ドストイェフスキイも、芸術として完全だ、ヨーロッパ文学中これに匹敵しうるものは何もない、とまでいっていますし、また、この間お目にかかった志賀直哉さんも、近代小説の教科書といっていい、ともらされておりますし、これを選んだことは、お認め願えるかと思います。」p.132
・「リアリズムというのは、ものを目に見えるように描写するというより、むしろ、ものを見たかのように意識させる方法といえましょう。」p.134
・「はじめから理屈ばかりを考えるのなら、小説を読む楽しみはどこにもない。小説はまずすなおに、つぎつぎと現われてくる場面を一々感覚と理知とで、つまり生きた私たちの身体全体でうけとめる、そういうものです。」p.140
・「偉大な作品は、それを読んだあとではどんな偉い批評家の説をよんでも、きっとそれに満足させないだけのものをもっているのです。」p.171
世界近代小説五十選
イタリー
1 ボッカチオ『デカメロン』
スペイン
2 セルバンテス『ドン・キホーテ』
イギリス
3 デフォオ『ロビンソン漂流記』★
4 スウィフト『ガリヴァー旅行記』★
5 フィールディング『トム・ジョウンズ』
6 ジェーン・オースティン『高慢と偏見』
7 スコット『アイヴァンホー』
8 エミリ・ブロンデ『嵐が丘』★
9 ディケンズ『デイヴィド・コパフィールド』
10 スティーブンスン『宝島』★
11 トマス・ハーディ『テス』
12 サマセット・モーム『人間の絆』
フランス
13 ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』
14 プレヴオ『マノン・レスコー』
15 ルソー『告白』
16 スタンダール『赤と黒』
17 パルザック『従妹ベット』
18 フロベール『ボヴァリー夫人』
19 ユゴー『レ・ミゼラブル』
20 モーパッサン『女の一生』
21 ゾラ『ジェルミナール』
22 ロラン『ジャン・クリストフ』
23 マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』★
24 ジイド『贋金つくり』
25 マルロオ『人間の条件』
ドイツ
26 ゲーテ『若きウェルテルの悩み』★
27 ノヴァーリス『青い花』
28 ホフマン『黄金宝壺』
29 ケラー『緑のハインリヒ』
30 ニーチェ『ツアラトストラかく語りき』
31 リルケ『マルテの手記』
32 トオマス・マン『魔の山』
スカンヂナヴィア
33 ヤコブセン『死と愛』(ニイルス・リイネ)
34 ビョルンソン『アルネ』
ロシア
35 プーシキン『大尉の娘』
36 レールモントフ『現代の英雄』
37 ゴーゴリ『死せる魂』
38 ツルゲーネフ『父と子』
39 ドストエーフスキイ『罪と罰』★
40 トルストイ『アンナ・カレーニナ』
41 ゴーリキー『母』
42 ショーロホフ『静かなドン』
アメリカ
43 ポオ短編小説『黒猫』『モルグ街の殺人事件・盗まれた手紙他』
44 ホーソン『緋文字』
45 メルヴィル『白鯨』
46 マーク・トウェーン『ハックルベリィフィンの冒険』
47 ミッチェル『風と共に去りぬ』★
48 ヘミングウェイ『武器よさらば』
49 ジョン・スタインベック『怒りのぶどう』
中国
50 魯迅『阿Q正伝・狂人日記他』
・多少長くなりましたが、本書は現在絶版であること、またその価値があるものと考え『世界近代小説五十選』も書き抜きました。私が読んだ本には★印。たったの8冊。。。とてもじゃないが『本好き』とは口が裂けても言えないお粗末さ。気長に50タイトル完読!目指したいと思います。