アンサンブル・ド・ミューズ ニュースレター

レッスンの事、日々の出来事などいろいろと…。

皺…♪

2013-08-31 09:17:44 | Weblog
昨夜テレビのスイッチをいれたら、瀬戸内寂聴さんが出ていた。
御年91歳、矍鑠としていらっしゃる。
「お肉が食べたい」
「穴子と海老がいいわね」
とおっしゃって、いたずらっぽくニコッとお笑いになる。
その様子をずっと観ていてふと気が付いた。
彼女の眼尻に刻まれた皺。
下向きの険しい皺がない。全部上向きの笑顔の皺。
あんな皺ならいいな、と思った。
つい先日のレッスンが始まる前のひと時、メンバーの一人が
「先生は顔の皺のこととかどんな風に考えてますか?気にしてますか?」
と訊いてきた。
はて、なんでいきなりそんなことをとは思ったけど、改めて自分の思考を追ってみると…、
気にしたことないなぁ…
「この歳だからね、あって当然だって感じだねぇ」
朝晩の洗顔とスキンケア(といえるほどのことはしないけど)で鏡を見るたびに
あるな
とは思う。思うがそれだけである。
なんていえばいいのかしらねぇ…。
皺が1本増えたからといって、それで何が変わるというものでもない、と思ってるみたい。
顔に皺ができたからといって脚の上がる高さが変わるわけでなし、ジャンプ力が落ちるわけでなし、ポワントで立てなくなるわけでもない。
まして教師としての技量を喪失するわけでもなければ料理の腕が落ちるわけでもなく、さらにいえば脳みその働きが悪くなるわけでもないからねぇ。
たぶん、重きをおいているポイントが違うんだろうな。
53年の人生でいろんなことがあった。
楽しいこと嬉しいこと自慢したいこと誇りたいこと、そして悔しいこと情けないこと恥ずかしいこと哀しいこと、時には顔が歪むんじゃないかと思うほど辛い思いもした。
そのすべてがあるから今の私があり、この顔がある。
これまでに経験したすべてのこと、もちろんそのすべてに感謝出来るわけではないが否定はしたくない。
それだけの経験をしてきた人間の(ツラ)に20歳のままの面の皮(ツラノカワ)が被さっているとしたら……。
不気味だ
ダンス力もおぼつかず表現力は浅く、人生経験に乏しくて他人の痛みや悲しみを慮るだけの余裕もなかった20歳の頃の自分よりも、53歳の今の自分の方が値打ちがある、と思っている。それは勿論、独りよがりかもしれないけどね
だから私はこれからも、生徒と一緒に大いに笑ったり悩んだりして、その結果刻まれていく皺ならば出来て構わないと思っている。
ただ願わくば、瀬戸内寂聴さんのような上向きの皺、優しい笑顔の皺がいいな
コメント
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