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中村吉右衛門さんをしのんで…♪

2021-12-19 10:34:41 | Weblog
昨日の午後、NHK総合で『中村吉右衛門さんをしのんで』という追悼番組を観ました。
娘婿である尾上菊之助丈と劇評家の渡辺保氏がゲストで、松本幸四郎丈や中村歌六丈のインタヴュー映像もありました。
菊之助丈はいまだに義父君を失った悲しみを纏ったままのようで、ともすれば涙を堪えているようにも見えました
吉右衛門さんはご自分の芸を磨くことを至高の目標としておられましたが、後進を育てること、古典を現代に生きる古典として蘇らせることなどにも心血をそそがれたんですね。
菊之助丈が紹介された吉右衛門さんの言葉、
心が生きていないと芸にはならない
幸四郎丈が紹介された吉右衛門さんの教え、
表現する方法としての技の習得
大切な大切な心得です。
吉右衛門さんの当たり役というのはいくつもあるんですけど、その中のひとつ、『俊寛』の映像が紹介されました。
赦免によって都に帰れることになった仲間たちが乗った船が次第に遠ざかっていく様を、険しい岩場に上っていつまでもいつまでも見送る俊寛
砂浜から岩場に上っていくところを見ていて、
お気をつけて、危ないから、海に落ちたら溺れちゃうから、気を付けてよ…っ
って、握り拳に力が入っちゃいました
岩場といっても舞台装置だし、海といっても舞台いっぱいに広げた波模様の布を道具方が下から揺らしているだけなのに、そうとわかってるのに、俊寛さまの身が心配になっちゃって…。
これが吉右衛門さんの芸の神髄なんだなって思います。
さらに2020年8月に観世能楽堂で上演された自作自演の新作歌舞伎『須磨浦』の映像の一部を観ましたが、敦盛の身替わりにわが子小次郎の首を実検に差し出すシーン。
4分の1ほどに広げた舞扇1本でそれを表現していて、要を左手に置き扇面の縁に右手を掛けて前に差し出したそのシーン、無言で立つ吉右衛門さんの表情に様々な感情が溢れ出ていました。
橋掛かりと鏡板しかない極限まで装置や装飾を削ぎ落とした何もない能舞台の空間で、扮装も化粧もない紋付袴姿での一人芝居。
中村吉右衛門という名優の凄味を感じます。
実検を無事に乗り切った熊谷が出家する場面は歌舞伎の舞台映像から。
頭を丸め袈裟を纏い頭陀袋を下げた熊谷が陣屋を振り返り、自ら亡き者にしたわが子を思っての嘆き、
十六年は一昔…夢だ…夢だ…
観ながら涙が出ちゃいました
幸四郎丈や菊之助丈にお稽古をつけられる映像も紹介されました。
ことに菊之助丈との碇知盛のお稽古の様子、画面左の吉右衛門さんと画面右の菊之助丈の所作や台詞のテンポがほとんどピタリと一致していて、≪口伝≫とはまさにこういうことを指すのだなと理解しました
インタヴューに答えている姿、フランスのカフェにひとり座ってスケッチしている姿、お孫ちゃんの丑之助クンの様子に目を細めている姿、どんな場面にあっても様子の佳い色気のある人でしたねぇ。
役者は色気がなくちゃいけないってことはよく耳にしましたけれど、吉右衛門さんはまさにそうだなって思います。
あの河内山も、あの盛綱も、あの熊谷も、あの大蔵卿も、あの次郎座衛門も、あの南郷力丸も、あの由良之助も、あの知盛も、あの弾正も、あの弁慶も、あの松王丸も、…も、…も、…も、もう観られないんだねぇぇぇ


コメント
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