この作品もAIをテーマにした名作。
【再掲載】 世界最高峰のSF、いや推理小説と呼ぶに相応しい・・・瀬名秀明「デカルトの密室」
■ 『鉄腕アトム』が残した課題 ■
1995年に『パラサイト・イヴ』が大ヒットした
瀬名秀明の2005年の作品が『デカルトの密室』。
ケンイチは人工知能を有する男の子の形をしたロボットです。
祐輔はロボット研究の第一人者で、
ケンイチに人間や社会生活を一から教え込んでゆきます。
こう書くと、「なーんだ、鉄腕アトムと御茶ノ水博士じゃないか」と思われるでしょう。
しかし、同じテーマでありながら、『鉄腕アトム』と『デカルトの密室は』
全く正反対の内容です。
『鉄腕アトム』は夢と希望に溢れた作品ですが、
一つだけ重大な欠点を持った作品でもあります。
それはアトムが人の心を理解している事。
「それは御茶ノ水博士が丁寧に教えたからさ」という反論が予想されますが、
人工知能に感情を理解させる事は現代の科学では不可能です。
人工知能に、様々な状況に対する人間的反応を予めプログラムしておけば、
「人間の様な対応」をさせる事は可能です。
しかし、経験の中から自然に形成される「人格」や「感情」とは似て非なるものです。
浦澤直樹の『鉄腕アトム』のリメーク作品である『PLUTO』は
この問題に自覚的です。
アトムやウランは手塚作品とは対照的に、見た目は普通の人間として描かれますが、
ロボット達は、自分達が人間で無いというアイデンティティーの根幹と
常に向き合って生活しています。
見た目も、行動も、そして感情も、全て人と同様にプログラムされたロボット達は、
自分達が人間と同様の感情を持つが故に、
その感情が自分のものなのか、
それともプログラムされた偽りのものなのかの問題に直面します。
警官ロボットのゲジヒトなどは、「あなた、人間以上に人間臭いよ」と思えますが、
彼はロボットであるが故に、自分の記憶すらも疑います。
アトムやウランはカワイイ子供の姿で描かれますが、
アトムの感情は希薄です。
アトムは人間で無い事に自覚的で、
ゲジヒトに比べ、アイデンティテーの悩みは少ない様です。
ところが、作中でアトムは涙を流します。
これは、高度な人工知能を有するアトムが
自然発生的に感情を獲得した事を示唆するシーンです。
高度な「感情に似せたプログラム」を持たないアトムは、
感情が希薄なのでは無く、
感情を生み出す隙間が人工知能の中に用意されていたのかも知れません。
原題の作家達は手塚治虫の残した宿題に果敢に挑戦しています。
そして、瀬名秀明の『デカルトの密室』は、
ロボットの自我獲得を通じて、人間の自我の本質に迫る野心作です。
■ 人工知能の限界 ■
ネタバレ御免!! 読まれる方は、ここで止めてね!!
ロボット研究者の祐輔は、チューリング・コンテストに参加する為に
メルボルンを訪れます。
チューリング・コンテストとは、人工知能の性能を競う大会です。
人間と人口知能に対して、人間の質問者が質問します。
その回答を会場の人が審査して、どちらが人工知能か当てるのです。
「元気ですか」みたいな質問から、複雑な質問までを両者に答えさせます。
人工知能はネットに接続されていますから、
知識の量は人間よりも豊富です。
質問者の問いに、不明な点があっても、ネット検索で答えを類推できます。
人間的感情が必要であるならば、
ネットにアップされた映像作品や小説を参照する事だって瞬時に可能です。
しかし、人工知能には限界があります。
どんなに人間を装っても、人工知能は人間とは明らかに違うのです。
■ 人間性を喪失した少女 ■
祐輔と同年代の研究者にフランシーヌという女性が居ます。
常人離れした美貌の持ち主ですが、
彼女には生来、人間的は感情が欠落しています。
彼女は明晰な頭脳の持ち主ですが、
彼女の興味の対象は、人間を理解する事。
だから、学生時代も多くの男性をベットに誘いますが、
事の最中の彼女は、冷酷な観察者で、
自分達の行為をビデオに収めて観察します。
そんなフランシーヌがチューリング・コンテストに乗り込んで来ます。
彼女の義父、青木英伍の会社、『プロメテ』が
今年からコンテストのスポンサーになったのです。
フランシーヌと祐輔は知らぬ仲では無いようです。
彼女はいきなり祐輔と自分と人口知能で、
誰が一番人工知能に似ているかテストをしようと提案します。
到底人工知能は人間にはなりきれませんが、
人間なら人工知能になりきれる・・
彼女の挑戦を祐輔は受けて立ちます。
質問者の質問に、ちょっとピンボケの回答を返す3人に
会場の人達は、どれが本物の人工知能だかなかなか判断が出来ません。
ところが、何と、フランシーヌの回答は、
全てルイス・キャロルの小説「不思議の国のアリス」と鏡の国のアリス」の引用だったのです。
とんだ茶番に祐輔は付き合わされた訳ですが、
読者は、チューリングテストの審査員の立場を擬似的に体験します。
そして、「アリス」が看破される事で、
実際に失望を感じると同時に、
フランシーヌの不可解な行動に興味を抱きます。
■ 「中国語の部屋」という命題 ■
疲労困ぱいで会場を出た祐輔ですが
その直後に何者かに誘拐されて監禁されます。
意識を取り戻した祐輔の顔面にはモニターが張り付いています。
彼の視覚は、上下が逆さまに入れ替わっています。
この状態を人間は生理的に受付ません。
脳がパニックを起こすのです。
助けを呼ぼうにも、部屋にはPCが一台あるだけ。
そして、そのPCに外部からの呼びかけがあります。
・・・どうやら、このPCはチューリング・テストの質問者に繋がっている。
助けを呼ぶために「HELP」という単語を一つ打つのも上下逆さまの視界では混乱します。
次に目覚めると視覚は左右反転しています。
困惑する祐輔ですが、これが「中国語の部屋」という命題である事に気付きます。
密室に中国語を全く知らない人を閉じ込め、
外部から中国語でアクセスします。
部屋に閉じ込められた人は、部屋に置かれた中国語の辞書で返答を試みます。
はたして、彼は中国語を理解する様になるのか?
これは人間の言語獲得の仮説的実験ですが、
祐輔は自分を監禁したのはフランシーヌだと確信します。
■ ロボットによる殺人 ■
消息を絶った祐輔を探す為、
祐輔の彼女であるレナが日本から駆けつけます。
彼女は進化心理学者で、現在は祐輔の作ったロボットのケンイチと暮らしています。
ケンイチの機動から初期学習までは祐輔が担当しましたが、
その後の人工知能の教育は、レナが担当しています。
ケンイチの初期学習は、身の回りの物の認識から始まります。
そして、物を掴む事や、移動の方法を徐々に学びます。
祐輔の取った手法は、最初はケンイチの制御系に祐輔が介入し、
繰り返し動作を学習させ、徐々に介入の度合いを引くしていく方法。
これは、習字の先生が生徒の手の上から筆を持って教える方法に似ています。
模範的な動きを模倣させる事で、人工知能の成長を促進させるのです。
同時に祐輔は、ケンイチに社会規範などを教えてゆきます。
そうして、ケンイチが日常生活を営めるようになった時点で、
レナにケンイチの教育を交替します。
レナはケンイチに何かを積極的に教える事はしません。
日常的に母親の様にケンイチと接し、
彼の手を握ったり、頭をなぜたりして、
それがケンイチにとって心地よく安心する事であると教えてゆきます。
これも幼児を教育する母親に似ています。
レナはケンイチになるべく「自分で考える」様に仕向けます。
ケンイチが「感情の様なもの」を獲得していく過程が
彼女の研究の対象でもあるのです。
その様に育てられたロボットのケンイチは、
かなり人間的に描写されます。
彼は小説の執筆にもチャレンジする程、人間臭いのです。
そんなケンイチが雄介の失踪に動揺しない訳がありあません。
そしてケンイチが発見した祐輔は、
頭にヘッドセットを装着したロボットだった!!
理解不能の状況に人工知能が完全にパニックします。
フレーム問題が発生してしまうのです。
そして、チューリング・コンテストの会場に戻ると、
何故か手に握らされた拳銃を、
ステージに居るフランシーヌに向けます。
フランシーヌの脳漿がスクリーンに飛び散る映像が、
ネットで全世界に拡散します。
「ロボットによる殺人」というショッキングな話題性と共に
映像は拡散を続けます。
■ ネットの中のフランシーヌ ■
しばらくするとネットのフランシーヌの映像が、
微妙に変化している事に人々が気付き始めます。
色が微妙に違っていたり、
声が聞こえたりする様になるのです。
フランシスのプログラムの変化は学術的にも注目を集め、
『プロメテ』のコンピューターがMITと共同で解析に当たります。
ネットではフランシスの映像は自律進化していると囁かれ始めます。
一方、『プロメテ』はフランシスそっくりのロボットを発売します。
青木英伍は、自分の幼女を商売のネタにしたのです。
■ 人間をその小さな脳から解放する ■
しかし、その青木英伍が、彼の家で殺害されます。
殺害したのはフランシスのロボット。
しかし、この殺人を仕掛けたのはフランシーヌの夫でした。
フランシスと彼女の夫であるロボット研究家は、
人間の意識は、脳という器に縛られて進化できないと語ります。
だから自分達はフランシーヌをネット空間に解放したのだと。
デカルトが「脳を自我の器」と主張した時から、
人間は脳に囚われた存在に成り下がったのだと。
人間は脳の中の小人、ホムンクルスから進化できずにいると語ります。
■ ケンイチの選択 ■
フランシーヌの夫はケンイチに執着します。
ケンイチの意思も感情も、裕輔とレナが与えた幻想に過ぎないと
ケンイチのアイデンティティーに揺さぶりを掛けます。
祐輔もレナもケンチイを人間の子供のイメージを被せているだけだと。
彼らは、ケンイチに感情や自我を与える振りをしているだけだと非難します。
そして、ケンイチに、レナと祐輔を撃ち殺して、開放されろと迫ります。
さて、ケンイチの下した決断とは・・・。
■ これは最早日本のSF小説では無い。英語で出版されていればヒューゴ賞が取れる ■
『デカルトの密室』は典型的な密室の構造を何重にも取りながら、
脳という密室の本質に迫ります。
文体は乾いていて硬質。
典型的なアメリカのSF小説をイメージさせます。
内容は、アメリカのSF小説の最高の栄誉である、
ヒューゴ賞とネビュラ賞を同時受賞(ダブル・クラウン)した過去の諸作にも劣りません。
SFとしても、推理小説としても、そして前衛小説としても
時代の水準をはるかに凌駕する作品です。
村上春樹がイメージだけでバカ売れする一方で、
こんな名作は評価されずに埋もれてゆく。
決して読みやすい本ではありません。
むしろ、読者をデカルトの迷宮に突き落とす為、
時制と視点が入り乱れる構成をあえて採用しています。
密室トリックとしては少々奇抜過ぎるトリックですが、
科学小説や、哲学小説として読む方が楽しめる作品です。
本日も、ネタバレ全開で突っ走ってしまいました。