高校野球の地方大会も大詰めを迎えている。流経柏は昨日延長戦の末敗退。とても実力のある高校で地元ということもあり期待していただけにとても残念である。
クアトロのシェフも高校時代は野球の選手であった。この季節になると当時のことをよく話題に出す。部活に燃えていた青春時代はいつになっても輝いているものである。
スポーツでは勝負の明暗を分けるプレーがつきまとう。あの時、こうなっていたら自分の人生までも変わっていただろうかなどと思うものである。
あの時あそこでヒットを打っていれば、あそこでエラーしなければなどと思い浮かべるものだろう。
クアトロの父は高校時代、柔道の選手であった。あの時、あそこで一瞬力を抜かなければとか、あの審判はどうなのかなどと思うことがある。それでも、自分の実力だけのプレーをしたとも思っている。
くちばしの黄色い形の良い北海道の新サンマ。この時期の刺し網漁の新サンマは特別に美味しい。天然真鯛を湯引きにした刺身、夏ならではの味わい深いイサキに八丈赤ムツ。
あの時、クアトロであのカルパッチョを食べておけば良かった。などと、後悔しないことが大切である。
大陸が移動していた神々の時代に、大陸のかけらが海に投げ込まれて出来た国が日の本の国である。その国におわす太陽の神は気まぐれである。時には天の岩戸に隠れて八百万の神々を心配させたものだ。その時一計を案じた八百万の神々は祭りを開きはしゃいでみせて、「私のことを忘れてみんなは何を楽しそうにしているの」と顔を出した太陽の神を岩戸から引きずり出すのだ。
今日、柏の八百万の神々は柏祭りに興じてみせている。クアトロでも八百万の神々は天然真鯛と美味しいお酒に興じる。柏の太陽の神も鹿島神宮から顔を覗かせるのだろうか。
どちらにしても、今日のクアトロの天然真鯛は八百万の神々もビックリの上物である。
※太陽神も八百万の神々も気になるクアトロの今日の魚
北海道産刺し網新サンマ、長崎産麦わらイサキ、愛媛産天然真鯛、八丈島産八丈赤ムツ、昆布森真牡蠣などなどである。
※東宝映画「日本誕生」(1959)を参照
かつて地球の大陸はひとつの塊だった。その大陸にはエデンの園があったのだろう。エデンの園でアダムとイブを惑わせた禁断の果実こそは、ブドウだったのではないだろうか。アダムとイブが身にまとう葉っぱはきっとブドウの葉である。
やがて、その大陸は分裂し分かれていく。それが大陸移動説である。大陸が分裂しブドウもそれぞれの大陸で実を付けていく。
19世紀にはヨーロッパのブドウの木がうどんこ病により壊滅状態になった時に、これを助けたのが新大陸アメリカ大陸のブドウの木による接ぎ木であった。アメリカ大陸のブドウの木にはこの病気に対する免疫があったのである。
ブドウも大陸の分裂と移動とともに品種が分類されていったのだ。
アメリカ大陸育ちのジンファンデルというブドウのワインには、アダムとイブを誘惑しそうな魅力を感じる。
クアトロ新着ワイン「ヴィラ・マウンテン・エデン/ジンファンデル」はいかがだろう。エデンの園の味わいを感じるかもしれない。
※大陸移動説とブドウ品種の分裂についての話はクアトロの父の個人的推測であり学術的裏付けはありません。
クアトロの父はその昔ジャズ喫茶のカウンターマンであった。コーヒー専門店でもあり、ドリップ式で淹れるクアトロの父のコーヒーはとても美味しかったと自負している。軽食メニューではピザトーストも自慢だった。紀伊國屋のイギリスパンにオレガノの効いた自家製ピザソースを塗り、オニオン、ハム、サラミ、トマト、ゆで卵をトッピングしゴーダチーズのスライスを載せて焼く。マッキントッシュから大音響で流れるジャズとコーヒーとピザトースト。クアトロの父の青春の1ページである。
朝の仕込みで大玉のゴーダチーズを解体してピザトースト用にゴーダチーズのスライスを用意する。今ではスライスチーズというものがあり便利なものだが、大玉から切り出したゴーダチーズで焼いたピザの味には及ばないだろう。
クアトロに山羊のゴーダ“ゴーダ・ペニング”が入荷している。野生のヒースの丘で育つ山羊のミルクから作ったゴーダチーズだ。とてもミルキーでクセがない。ほんのりハーブの香りが心地よいとても上品な味わいである。
ゴーダ・チーズといっても色々とあるものだ。この白いゴーダでピザトーストを作るとどんな味なのだろう。ジャズよりもクラシックが似合いそうな味わいの白いゴーダである。
お昼前に京成実籾駅に着く。空は厚い雲に覆われた曇り空である。この雲では日食どころではなかった。それでも日食の予定時間が過ぎると空も明るくなってきた。
この実籾に美味しい鮨屋があると、クアトロのお客様にお招きをいただきやってきた。その鮨屋は夜だけの営業だが、クアトロのお客様の計らいで昼から特別に店を開けてくれた。そのお客様ご夫婦とクアトロ夫婦の四人での貸切である。
こぎれいな一軒家の鮨屋である。ご夫婦で切り盛りしているお鮨屋さんだ。暖簾をくぐると女将さんが迎えてくれた。普段は仕込みの時間なのだがご主人も気持ちよく迎えてくれる。
女将さんの選ぶ日本酒を堪能し、ご主人の創作料理と鮨に舌鼓を打つ。
カウンターで会話を楽しみつつ味わう鮨は格別である。ここの鮨屋は人柄を味わせてくれる店だなと感心した。締めくくりの握りに人柄のぬくもりを感じるのだった。
ほろ酔いで帰路につくクアトロ夫婦。今日の主役のお日様は結局顔を見せずにすでに夕暮れである。