○アンソニー・コリンズ指揮ロンドン交響楽団(BEULAH他)1954/2/22-25・CD
ロマン性が全く排され、それまでの作品に聴かれた生臭さが完全に抜けて、白く、美しくもわけのわからない哲学的世界に昇っていってしまったシベリウスの尖鋭性が最も顕れた作品。意表を突いた音の連続、論理性を排した展開、明滅するシャープな響きは特に1楽章で目立つ。でもやっとシベリウスらしい旋律が形をなした終楽章にあっても後半はやはり哲学的宇宙に飛び去ってしまい謎めいた終末を迎えることになる。シベリウスの音響に対する前衛的な感覚が室内楽的な薄いアンサンブルの中に剥き出しで顕れた曲でもあり、シベリウスを時代遅れの国民楽派と片づけてしまうことが誤っているのだと確信させる。分厚いのに冷たく硬質、そして微妙に複雑なハーモニーは演奏しているとその独特さに否応無く気づかされる。1度ずれた高音2本の不協和音などシベリウスらしい実に微妙な味わいのある響きだ。とにかく4番は一筋縄ではいかないのである。それは安直な解釈を拒否する。メリハリが明確でダイナミックなアンソニー・コリンズの演奏は、作品の雄弁な部分を引き出そうとするもなかなか掴めず手を出しあぐねているように聞こえる。だがこのほんとにわけのわからない作品を極力わかりやすく表現しようとする態度については十分評価できる。事実演奏の凝縮力、強靭さ、オケの統率も申し分無く、まあこの曲に限らないのだが、これがモノラルでなければ間違いなくシベリウス指揮者として今もCD屋の店頭を飾っていたに違いないと思わせるものがある。4番ははっきり言っていい録音にこしたことはないし、静謐さをしっかり演出することが肝要だと思うから、この人の盤には最上級の評価はつけられないのだが、聴き易さをとって○ひとつをつけておく。
※2005/2/23の記事です
ロマン性が全く排され、それまでの作品に聴かれた生臭さが完全に抜けて、白く、美しくもわけのわからない哲学的世界に昇っていってしまったシベリウスの尖鋭性が最も顕れた作品。意表を突いた音の連続、論理性を排した展開、明滅するシャープな響きは特に1楽章で目立つ。でもやっとシベリウスらしい旋律が形をなした終楽章にあっても後半はやはり哲学的宇宙に飛び去ってしまい謎めいた終末を迎えることになる。シベリウスの音響に対する前衛的な感覚が室内楽的な薄いアンサンブルの中に剥き出しで顕れた曲でもあり、シベリウスを時代遅れの国民楽派と片づけてしまうことが誤っているのだと確信させる。分厚いのに冷たく硬質、そして微妙に複雑なハーモニーは演奏しているとその独特さに否応無く気づかされる。1度ずれた高音2本の不協和音などシベリウスらしい実に微妙な味わいのある響きだ。とにかく4番は一筋縄ではいかないのである。それは安直な解釈を拒否する。メリハリが明確でダイナミックなアンソニー・コリンズの演奏は、作品の雄弁な部分を引き出そうとするもなかなか掴めず手を出しあぐねているように聞こえる。だがこのほんとにわけのわからない作品を極力わかりやすく表現しようとする態度については十分評価できる。事実演奏の凝縮力、強靭さ、オケの統率も申し分無く、まあこの曲に限らないのだが、これがモノラルでなければ間違いなくシベリウス指揮者として今もCD屋の店頭を飾っていたに違いないと思わせるものがある。4番ははっきり言っていい録音にこしたことはないし、静謐さをしっかり演出することが肝要だと思うから、この人の盤には最上級の評価はつけられないのだが、聴き易さをとって○ひとつをつけておく。
※2005/2/23の記事です