○ビーチャム指揮ロイヤル・フィル(aura,HMV/ermitage)1957/10/20アスコーナlive・CD
あからさまに気分を煽る国民楽派時代のシベリウスの代表的な曲で、組曲全体も素晴らしい。フィンランディアなどと同系統でけっこうよくアンコールなどでやられる。ドヴォルザーク晩年以上に「垢抜けた民族音楽」の冷たく洗練された響きと巧緻な構造を、単純な民族旋律連環の中に見出すことができる。もう弦楽器は大変なのだが(ワグナーやらブルックナーやらの伴奏音形の影響ですな)カッコイイので団員のやる気はすごい。ただオケ自体の特性が、このギッチリ揃ったアンサンブルを堅固な響きの上に展開するという中欧的な楽曲にあってないというか、弦楽器はっきりいって軽くてギッチリとは揃わないので、こうクリアにリマスタリングされると少し技術的問題を取り沙汰したくもなる。ビーチャムはシベリウス消費大国イギリスにおけるシベリウスの先鋒的権威だし、このスピードにドライヴ感は必須と思ってやってたんだろうけど、ちょっと煽りすぎて聴く側も緊張してしまう。○にしておくが最大評価にはならないという感じ。
あからさまに気分を煽る国民楽派時代のシベリウスの代表的な曲で、組曲全体も素晴らしい。フィンランディアなどと同系統でけっこうよくアンコールなどでやられる。ドヴォルザーク晩年以上に「垢抜けた民族音楽」の冷たく洗練された響きと巧緻な構造を、単純な民族旋律連環の中に見出すことができる。もう弦楽器は大変なのだが(ワグナーやらブルックナーやらの伴奏音形の影響ですな)カッコイイので団員のやる気はすごい。ただオケ自体の特性が、このギッチリ揃ったアンサンブルを堅固な響きの上に展開するという中欧的な楽曲にあってないというか、弦楽器はっきりいって軽くてギッチリとは揃わないので、こうクリアにリマスタリングされると少し技術的問題を取り沙汰したくもなる。ビーチャムはシベリウス消費大国イギリスにおけるシベリウスの先鋒的権威だし、このスピードにドライヴ感は必須と思ってやってたんだろうけど、ちょっと煽りすぎて聴く側も緊張してしまう。○にしておくが最大評価にはならないという感じ。
ビーチャムはリハーサルで冗談ばかり飛ばしていましたが指揮ぶりは優雅ですね。バルビロリは怖い顔で同じようにところをねちねちやっていますが、対称的です。
今日はミュンシュのヘルシンキライブのシベリウス、伝説より2曲を聴きましたが、本場に殴り込むような気合いの入った演奏でした。
バルビローリなど音楽の温厚なイメージと苛烈な指導者のイメージが乖離している場合、アメリカで伝統ある割り切ったオケ相手にそっぽを向かれがちですね。悪い音楽は作らないのですが好き嫌いはあります。スタジオ録音が本当にやりたかったことだとしたら、オペラをやる手法を管弦楽に応用しただけと感じられます。
シベリウスは私は死角です。一部の曲を除き殆ど聴きませんので、ミュンシュも聴いていないのですが、例の全集にあるので機会があれば聴いてみます。フランスなどの現代の音響感覚を取り入れた作曲家ですからミュンシュには合うかもですね
ミュンシュのシベリウスはディスクモンテーニュのもので、モントリオールでのフランク、東京でのフォーレと組み合わせてあります。モントリオールはフランス系住民の多い地域ですのでさぞかし熱い聴衆であったでしょう。東京でのフォーレの拍手も感慨深いものがあります。(演奏としてはフィラデルフィアとの正規録音より動きがあって好きです)
大きな地震があったのはこの日のことだったのでしょうか。
しかしスタジオ録音はほとんど聴いてません。ライヴ、それも50年代以前と以後でテンションもバランス感覚も違ってしまい、何でも振ってしまったこと、けしてレベルアップしなかったハレ管弦楽団に君臨し、誰も止められないマニアックな解釈(シベリウス全集の弦の奏法を時期ごとに変化させるよう徹底した話は有名ですが、効果は私はわかりません)で個性派を押し付けてくる、結果弛緩したメロディだけの音楽にしてしまったものは多いです。マーラーの一部、イギリス音楽の一部にイタリア物、あとブラームスは好き好きでしょうか。