ボールト指揮管弦楽団(gonzo)live・DVD
ヴォーン・ウィリアムズ初の伝記映画(テレビ)としてトニー・パーマー監督下放送された一時間余りの中に含まれる。gonzoのアカウントが最近YouTubeで公開した。この曲にはナレーション等が音も映像もかぶるが最初とクライマックスはしっかり鑑賞できる。ボールトがいつものように職人的に長い棒を振り回していくうちに、眼に涙が光ると言われたものだ。正直映像(カラー)に比べて音がステレオであまりに良く、聴いたかぎりその音も表現も晩年のLPOとの名演とほぼ同じだからちょっと疑問も感じるところがあるが、ただ元映像はしっかり振っているし弾いている、これをカラオケで当てはめる意味もないだろうからちゃんとしたものなのだろう。いずれにせよこのロマンツァが、第二次世界大戦の惨禍と平和な時代の追憶のために捧げられた限りなく切ない音楽というのはここでは否定されている。晩年の伴侶アースラ夫人との出会いと結婚の、幸福感を示したものであるように構成されている。アースラ(ウルスラと読んでいたがアースラと発音されるので正した)はRVWの指揮下でフルートを吹いていたが若干ダブりはあったようなものの病弱な前妻と入れ替わるようにその身を捧げた。いや、捧げたというよりディーリアスにおけるイエルカのように、相互作用により結果をより良いものにし、没後は作曲家の正しい意志を研究成果とともに整理し伝えることにつとめた(イエルカは死んだが)。年の差カップルだったから最近まで存命だったが、亡くなるまでヴォーン・ウィリアムズのCDが出るたびライナーを書き続けた。9番交響曲はコッツウォルズを描いたもので所謂第九ではないのだ、十番の準備もしていたという説明は有名だろう。私はもちろん異論を持っているが、少なくとも存命の誰よりヴォーン・ウィリアムズに詳しいかただったのだから尊重はすべきだし、じっさい後年はすべて一人で書いていたわけではなくアシスタントや専門外注作曲家にオーケストレーションの助力を頼んだりもしており、耳が聴こえづらくなってからはよりその比重は高まったはずで、アースラの手も、またアースラのアイデアなどを取り入れていたことは恐らく正しいのだろう。カラフルで立体的な音楽はこの5番以降に始まる。それは晩年でありアースラとの日々でもある。この映像を、ほんの短い全編の一部であるが(いつか全曲観たいものだ)編集された伝記の中に見ると、ローカルな志向の強い老作曲家が核戦争後の地球だのなんだの考えていたとは思えなくなる。そんな考えより、身近な人を愛することを描いたほうが届くものが書ける。ヴォーン・ウィリアムズはそういう作曲家だったのだろう。
ヴォーン・ウィリアムズ初の伝記映画(テレビ)としてトニー・パーマー監督下放送された一時間余りの中に含まれる。gonzoのアカウントが最近YouTubeで公開した。この曲にはナレーション等が音も映像もかぶるが最初とクライマックスはしっかり鑑賞できる。ボールトがいつものように職人的に長い棒を振り回していくうちに、眼に涙が光ると言われたものだ。正直映像(カラー)に比べて音がステレオであまりに良く、聴いたかぎりその音も表現も晩年のLPOとの名演とほぼ同じだからちょっと疑問も感じるところがあるが、ただ元映像はしっかり振っているし弾いている、これをカラオケで当てはめる意味もないだろうからちゃんとしたものなのだろう。いずれにせよこのロマンツァが、第二次世界大戦の惨禍と平和な時代の追憶のために捧げられた限りなく切ない音楽というのはここでは否定されている。晩年の伴侶アースラ夫人との出会いと結婚の、幸福感を示したものであるように構成されている。アースラ(ウルスラと読んでいたがアースラと発音されるので正した)はRVWの指揮下でフルートを吹いていたが若干ダブりはあったようなものの病弱な前妻と入れ替わるようにその身を捧げた。いや、捧げたというよりディーリアスにおけるイエルカのように、相互作用により結果をより良いものにし、没後は作曲家の正しい意志を研究成果とともに整理し伝えることにつとめた(イエルカは死んだが)。年の差カップルだったから最近まで存命だったが、亡くなるまでヴォーン・ウィリアムズのCDが出るたびライナーを書き続けた。9番交響曲はコッツウォルズを描いたもので所謂第九ではないのだ、十番の準備もしていたという説明は有名だろう。私はもちろん異論を持っているが、少なくとも存命の誰よりヴォーン・ウィリアムズに詳しいかただったのだから尊重はすべきだし、じっさい後年はすべて一人で書いていたわけではなくアシスタントや専門外注作曲家にオーケストレーションの助力を頼んだりもしており、耳が聴こえづらくなってからはよりその比重は高まったはずで、アースラの手も、またアースラのアイデアなどを取り入れていたことは恐らく正しいのだろう。カラフルで立体的な音楽はこの5番以降に始まる。それは晩年でありアースラとの日々でもある。この映像を、ほんの短い全編の一部であるが(いつか全曲観たいものだ)編集された伝記の中に見ると、ローカルな志向の強い老作曲家が核戦争後の地球だのなんだの考えていたとは思えなくなる。そんな考えより、身近な人を愛することを描いたほうが届くものが書ける。ヴォーン・ウィリアムズはそういう作曲家だったのだろう。