湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆ピストン:交響曲第6番

2018年01月07日 | アメリカ
○メイズ(Vc:3楽章)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA/BMG)1956/3/12,14・CD

ピストンはナディア・ブーランジェ門下のバリバリのアメリカ・アカデミズムの作曲家にもかかわらずドイツ・オーストリアふうの形式主義的な作風を持ち、半音階的な音線を多用し重厚な響きをはなつのが特徴的な作曲家である。この作品は両端楽章にコープランドらの舞踏表現に近い垢抜けた力強さとけたたましさを持ち合わせていながらも、全般に後期ヒンデミットの影響がじつに顕著であり、ピストンの楽曲に聴かれる堅牢な構築性の中にヒンデミットの血が脈々と流れていることは確かだと改めて思わせられる。ヒンデミットと異なるのはその主として旋律表現や変容方法にみられる「ハリウッド的な」通俗性だろう。聴き易い半面そういった臭みもある。マーラーすら想起させるロマン的感傷を孕む3楽章アダージオの木管や弦の用い方など全くヒンデミット的である。チェロソロが印象的だがそういった端のほうにはピストンの独自性は感じ取れはする。

ミュンシュはヒンデミット指揮者では全くないがその血にドイツ・オーストリア圏のものが含まれていることは言うまでもなく、フランス派を象徴するような指揮者でいながら「本流のフランスではない」アルザスの力強い音楽性を前面に押し出し、結果アメリカでも中欧色の濃いボストンでその活動の頂点を極めることになった異色の指揮者である。ドイツ音楽を得意としていたのもむべなるかな、こういった底からくる力強さとオケの技巧を些細ではなく明確にひけらかす場面を多く兼ね備えた楽曲にはうってつけである。曲がむしろオケや指揮者にすりよったものなのであり(BSO設立75周年記念依属作品)、しっくりこないほうがおかしい。ピストンは聴き易い。しかしそれは飽き易いことも示している。ミュンシュを聴けばもう他はいらない、とまでは言わないが通俗音楽のように「使い捨てられた」オーダメイド作品としてはこれだけ聴けば十分だろう。力感やアンサンブルの堅固さにかけてはこれを覆すほどのモチベーションをもった団体はとうぶん現れまい。

※2007-02-02 23:15:27の記事です

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