○マルケヴィッチ指揮モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団(ConcertHallSociety/SCRIBENDUM)CD・1972/7
三曲からなるパントマイム伴奏用の耳馴染みいい世俗作品で、ピアノ譜しか残らなかった(元からなかった?)ものが死後ミヨーにより発掘され編曲された。モンテ・カルロとはディーアギレフつながりで縁深いマルケヴィッチがディーアギレフをしのぶ企画内で録音したもの。録音はこの時期らしい安定しないステレオでスタジオ録音としては余りいいとは言えない。マルケヴィッチはスタジオ録音では割合と小粒にまとめてくるが、これもステレオの音場がなければ曲の内容のなさと透明感ある色彩とあいまって俊敏さとそつなさのみ浮き立つ職人的指揮としか受け取れなかったろう。サティも30代前半の作品で破壊的和声の山葵はきかせているもののポリシーまでに至っておらず、ミヨーのそつない編曲が更に没個性的な古風な作品という趣を助長している。美しいが音だけで成り立たせるのは難しい。キッチュな部分が少ないのでマルケヴィッチもただ立派にまとめるしかなかったのか。アマチュア臭のするオーダーメイド作品、こうやるのが関の山かもといったところで、○。
※2007/3/9の記事です
三曲からなるパントマイム伴奏用の耳馴染みいい世俗作品で、ピアノ譜しか残らなかった(元からなかった?)ものが死後ミヨーにより発掘され編曲された。モンテ・カルロとはディーアギレフつながりで縁深いマルケヴィッチがディーアギレフをしのぶ企画内で録音したもの。録音はこの時期らしい安定しないステレオでスタジオ録音としては余りいいとは言えない。マルケヴィッチはスタジオ録音では割合と小粒にまとめてくるが、これもステレオの音場がなければ曲の内容のなさと透明感ある色彩とあいまって俊敏さとそつなさのみ浮き立つ職人的指揮としか受け取れなかったろう。サティも30代前半の作品で破壊的和声の山葵はきかせているもののポリシーまでに至っておらず、ミヨーのそつない編曲が更に没個性的な古風な作品という趣を助長している。美しいが音だけで成り立たせるのは難しい。キッチュな部分が少ないのでマルケヴィッチもただ立派にまとめるしかなかったのか。アマチュア臭のするオーダーメイド作品、こうやるのが関の山かもといったところで、○。
※2007/3/9の記事です