○オーリアコンブ指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI/PATHE)1967初出・CD
ジムノペディGymnopedieはサティの造語と言われている。酒場でてきとうに名づけたという説もあるようだが、語源は古代ギリシャのスパルタ地方で行われていたデュオニソス祭で、戦死した戦士たちに捧げるために全裸の子供や青年たちが踊った舞踏Gymnopedicとされる。直訳すると「裸踊り」という意味らしい。そういう耽美な趣味もあったとか(すべて伝聞なのがサティ伝説の特徴、まあ、後年コクトーと交流したくらいだし)、奇人ぶりに繋がるところも伺える。まあ、文化全般にそういう神秘的でアルカイックなものが流行った時代だったのですね。もっともかなり若い頃の作品だけに、下衆の勘繰りはそれくらいにしておくべきだろう。手書き譜には乱暴に、「ジ・ム・ノ・ペ・ディ」!!と劇画タッチの標題が手書きされている。ちなみにジムノペディックは名前や絵こそ残っているが実態はよくわからない。余談になるが、明治時代の日本の本を読んでいたところ、以下の記述があった。おそらく言葉的に繋がっているにすぎないものとは思うが、なんでも古代ギリシャのアレキサンダー大王治世のころ、支配下にあった?インドに遊行哲学者”ジムノスウィスト”と呼ばれる一派がいて、生涯一切れの布も身につけず、丸裸で過ごしていたという。風雨にも寒暑にもめげず全裸を貫き通し、常に屋外で日暮らしする。あるときは日の出から日没まで太陽を見詰め、あるときは灼熱の砂漠に片足で終日立ち尽くし、それでも少しも苦痛をあらわすことはなかった。この文章は最後にローマ国のキリスト教の一派にも全裸で屋外にて隠遁生活を送るものたちがいて、数十名の妙齢の男女が一切れの布も身につけず森林に棲息しているのを見かけたものがいるらしい、と結んでいる。長々と書いたが、キーワードは「全裸」だ。ようは変人集団である。全裸は修行という意味もあるようで、インドらしいといえばインドらしい。話が何光年も飛んでしまったが、この編曲である。私はあまり意識していなかったのだが、ドビュッシーが管弦楽配置するさい、原曲の第三番を第一番、第一番を第二番に変更している。意図はよくわからないが、クライマックスに、より名曲である1番をもってきたかったのかもしれない。ドビュッシーは割と斬新な響きを密やかに加えていて、リズムパターンに重なる音の不協和なさまが、シンバルの轟きに補足されはっきり聞き取れる。この極めて明瞭な録音で聞くととくに、前奏部分では何の現代音楽を聴いているんだか、という錯覚を覚えるくらいだ。もっとも主部に入れば旋律の爽やかな魅力がリズムの不思議な重さを気だるく覆い隠すので気にならなくなる。耽美なパリ音楽院管のひびきはいかにもパリ的な洗練をもってこの曲のごつごつした異様なところを昇華させ、良質のサロンミュージックに仕立てている。これは貶しているのではない。聴き易く、入門には最適です。典雅で優しいハープも絶妙。○。
※2005/2/23の記事です
ジムノペディGymnopedieはサティの造語と言われている。酒場でてきとうに名づけたという説もあるようだが、語源は古代ギリシャのスパルタ地方で行われていたデュオニソス祭で、戦死した戦士たちに捧げるために全裸の子供や青年たちが踊った舞踏Gymnopedicとされる。直訳すると「裸踊り」という意味らしい。そういう耽美な趣味もあったとか(すべて伝聞なのがサティ伝説の特徴、まあ、後年コクトーと交流したくらいだし)、奇人ぶりに繋がるところも伺える。まあ、文化全般にそういう神秘的でアルカイックなものが流行った時代だったのですね。もっともかなり若い頃の作品だけに、下衆の勘繰りはそれくらいにしておくべきだろう。手書き譜には乱暴に、「ジ・ム・ノ・ペ・ディ」!!と劇画タッチの標題が手書きされている。ちなみにジムノペディックは名前や絵こそ残っているが実態はよくわからない。余談になるが、明治時代の日本の本を読んでいたところ、以下の記述があった。おそらく言葉的に繋がっているにすぎないものとは思うが、なんでも古代ギリシャのアレキサンダー大王治世のころ、支配下にあった?インドに遊行哲学者”ジムノスウィスト”と呼ばれる一派がいて、生涯一切れの布も身につけず、丸裸で過ごしていたという。風雨にも寒暑にもめげず全裸を貫き通し、常に屋外で日暮らしする。あるときは日の出から日没まで太陽を見詰め、あるときは灼熱の砂漠に片足で終日立ち尽くし、それでも少しも苦痛をあらわすことはなかった。この文章は最後にローマ国のキリスト教の一派にも全裸で屋外にて隠遁生活を送るものたちがいて、数十名の妙齢の男女が一切れの布も身につけず森林に棲息しているのを見かけたものがいるらしい、と結んでいる。長々と書いたが、キーワードは「全裸」だ。ようは変人集団である。全裸は修行という意味もあるようで、インドらしいといえばインドらしい。話が何光年も飛んでしまったが、この編曲である。私はあまり意識していなかったのだが、ドビュッシーが管弦楽配置するさい、原曲の第三番を第一番、第一番を第二番に変更している。意図はよくわからないが、クライマックスに、より名曲である1番をもってきたかったのかもしれない。ドビュッシーは割と斬新な響きを密やかに加えていて、リズムパターンに重なる音の不協和なさまが、シンバルの轟きに補足されはっきり聞き取れる。この極めて明瞭な録音で聞くととくに、前奏部分では何の現代音楽を聴いているんだか、という錯覚を覚えるくらいだ。もっとも主部に入れば旋律の爽やかな魅力がリズムの不思議な重さを気だるく覆い隠すので気にならなくなる。耽美なパリ音楽院管のひびきはいかにもパリ的な洗練をもってこの曲のごつごつした異様なところを昇華させ、良質のサロンミュージックに仕立てている。これは貶しているのではない。聴き易く、入門には最適です。典雅で優しいハープも絶妙。○。
※2005/2/23の記事です