○フォレスター(CA)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA/BMG)1958/12/29・CD
マーラー中期交響曲が好きな向きは、歌とはいえ避けては通りえない名作にもかかわらず、私は内容的に聴く気になることがあまりない。ミュンシュならいいか、と思って聴いてみるのだが、内面にぐいぐい入ってくるような曲内容にうねるようなミュンシュの分厚い表現の起伏もあいまって、ロマンティックに滅びていく後期マーラーのとろけ落ちるような退廃的な雰囲気がけっこう如実に表現されていて、ああ、こんなの聞いてると昼間から「落ちて」しまうなあ、と思う。もちろん曲による。しかしフォレスターは美しい。下品にならずに感傷を煽る慎ましい表現を身に着けている。さすがマーラー歌いだ。だから演奏的には退廃的にならずに済んでいる。根底には肯定的で明るいものがあるミュンシュだからこそ、やはりこれを聴いて交響曲も聴いてみたかった、という気にはならないのだが、単独演奏としてなかなかの名演だと思う。伴奏慣れしている指揮者は何にでもつけられるのだなあ。録音もクリアなステレオ。やや早くさっさと進みすぎる曲もあるし、やはりマーラーというより歌曲伴奏として取り組んでいるミュンシュの職人性が気になったため、○にとどめておく。けっこう伴奏でも難しいというか、交響曲並みに取り組まないとならない場面も多いところが「大地の歌は歌曲集か交響曲か論争」なんかに通じる部分でもあるんだろうな。この曲、初期のありふれた後期ロマン派様式から大地の歌のエキゾチシズムから9番の辞世にいたるまでの要素が「角笛交響曲と5番7番を除いて」ふんだんに盛り込まれているので、やっぱり聞き込みたいところではあるんだけど。
※2007/1/24の記事です
マーラー中期交響曲が好きな向きは、歌とはいえ避けては通りえない名作にもかかわらず、私は内容的に聴く気になることがあまりない。ミュンシュならいいか、と思って聴いてみるのだが、内面にぐいぐい入ってくるような曲内容にうねるようなミュンシュの分厚い表現の起伏もあいまって、ロマンティックに滅びていく後期マーラーのとろけ落ちるような退廃的な雰囲気がけっこう如実に表現されていて、ああ、こんなの聞いてると昼間から「落ちて」しまうなあ、と思う。もちろん曲による。しかしフォレスターは美しい。下品にならずに感傷を煽る慎ましい表現を身に着けている。さすがマーラー歌いだ。だから演奏的には退廃的にならずに済んでいる。根底には肯定的で明るいものがあるミュンシュだからこそ、やはりこれを聴いて交響曲も聴いてみたかった、という気にはならないのだが、単独演奏としてなかなかの名演だと思う。伴奏慣れしている指揮者は何にでもつけられるのだなあ。録音もクリアなステレオ。やや早くさっさと進みすぎる曲もあるし、やはりマーラーというより歌曲伴奏として取り組んでいるミュンシュの職人性が気になったため、○にとどめておく。けっこう伴奏でも難しいというか、交響曲並みに取り組まないとならない場面も多いところが「大地の歌は歌曲集か交響曲か論争」なんかに通じる部分でもあるんだろうな。この曲、初期のありふれた後期ロマン派様式から大地の歌のエキゾチシズムから9番の辞世にいたるまでの要素が「角笛交響曲と5番7番を除いて」ふんだんに盛り込まれているので、やっぱり聞き込みたいところではあるんだけど。
※2007/1/24の記事です