湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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マーラー:交響曲第6番

2005年08月19日 | マーラー
朝比奈指揮大阪フィル(GREEN DOOR)1979/9/7LIVE・CD

割合コンパクトで軽い演奏。一楽章の提示部が繰り返されていても全く気にならないくらい軽い。艶やかさのない、しかし烈しい切れ味のあるオケは朝比奈のしばしばクレンペラー(50年代)と比較される無骨で率直な表現によくあっている。古典的な意味での交響曲の終焉にこの作曲家を位置づけていた朝比奈らしい構成感がよく出ていて、例えばアルマの主題に入るところで全くテンポを落とさずロマン派的な歌謡性を煽ることを避けている(リフレイン時に一気にリタルダンドするが)。愚直なまでに即物的に音楽を組み立てていく朝比奈、好悪物凄く別れるだろう。一楽章コーダ前のアンサンブル崩壊などあんまりな箇所もあって、余程即物好きかアナライズマニアでないと正直浅薄でヘタな印象しか残らないかもしれない。スピードはかなり速いから同じ即物主義とみなされていたシェルヒェンと比較できるかもしれないが、近いようでいて遠い・・・恣意性の有無以前に作品に対するスタンスが違いすぎる。シェルヒェンは自分の解釈を積極的に入れこんでいくが、朝比奈はまずは原典主義、そして原典にプラスアルファするのではなく「引き算する」ことでマーラーの指示を「正している」。近いようでいて、というのは現代の分析的な精緻な演奏スタイルとは共に掛け離れている、という意味だ。録音のせいもあろうが朝比奈の響きは美しいとは言い難い。弦楽器の健闘にも関わらず余りに思いの感じられない三楽章など、戦後期のクレンペラーならやりそうな類の乱暴な組み立てかただ。誰がやってもそれなりに聞ける、それだけで一大叙事詩の四楽章、これはやっぱりなかなか聞ける。二十年前の演奏といっても通りそうな熱気だ。オケにまずは拍手、ここにきてやっと名人芸的な瞬発芸やリズムの刻みを見せた朝比奈にも、やっとかい、と拍手。緩徐部もいずこも前後のつなぎかたがややぎごちないが、それなりに雰囲気を出すことに成功している。アマチュアリスティックな技術の不全は疲れてくると出やすいものだから、終盤の音色のだらしなさや不揃いには目をつぶるべきだろう。高揚感の不足も仕方あるまい。コーダの抑制と開放は上手くいっているが。なんというか、ちらほら「ぶらぼうー」と日本語発音が飛び交うのは日本ローカルオケならではの終わり方か。無印。
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