○ドノホー(P)マッジーニ四重奏団のメンバー(naxos)CD
「ファサード」のパロディ音楽、「弦楽四重奏曲(1番)」の表現主義音楽から離れ、新古典主義的なスッキリした作風を獲得したウォルトン十代の代表作と言っていいのではないか。後年改訂されたかも知れないが根幹は変わりようがない。後半楽章を中心に以後まったく興味を見せなくなる民謡調を使い(三楽章はヴォーン・ウィリアムズのパロディのような美しい流れから皮肉な崩し方をする)、四楽章は形式を守りウォルトンにしては冗長な印象が否めないが、このメロディの親しみやすさ、透明な感傷やどる響き、トリッキーなリズムこそウォルトンの真骨頂であり、「ポーツマス・ポイント」の萌芽を感じ取ることができる。この演奏はとくに一楽章においてウォルトンの解釈としては異例の揺れ方をし、感情的な表現を取っている。やや音が硬質だが、このくらいやってくれると嬉しい。四楽章に同じような工夫がほしいが、シンプルを極めた譜面はなかなか弄れないというか、リズムが取れなくなるから仕方ないのか。これはやはり冗長な印象を払拭できなかった。二楽章の俊敏なアンサンブル、三楽章のたっぷり呼吸する甘やかなメロディと涼やかな響きの演出は特筆すべきものだ。全編メロディがメロディメロディしすぎて「恥ずかしさ」は否定できない曲だが、ラヴェルのピアノトリオを聴いてこんなものが書けてしまう恐るべき子供だったウォルトンには感服する。