湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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☆シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2017年04月30日 | 北欧・東欧
○トーテンベルグ(Vn)モントゥ指揮?(DA:CD-R)1954/2/5live

もう少し録音がクリアなら◎にしていたところで、とくに前半がソリスト・オケともに素晴らしい。モントゥの伴奏指揮は非常に巧くオケの響きの多彩さと演奏の集中度を主張しながらきっちりソリストにつけてくる。ソリストもまた技巧的に安定感がありこの難解な曲をみずみずしく描いている。楽曲的にはシマノフスキの最盛期のものと言ってよい。民族楽派の向こうを見据えた東欧近代作曲家の一人であるが、ここではとくにスクリアビンの非構造的な「響きの音楽」をそのまま受け継ぎ、そこにウィーン楽派の影響を理知的に反映させた最盛期の作風がよくあらわれている。清澄な音響を駆使しながらも半音階的な音線への執着がむんむんとするエロティシズムを露呈しているところはほぼフランス印象派の影響から脱しているような感じがする。寧ろ未だ残る分厚い響きへの指向がツェムリンスキーと非常に近いところに曲を持っていったといったかんじである。オリエンタリズムはやや減退して、晩年の作風となる民族主義回帰がヴァイオリンのフィドル風パセージに現れてきている。だがこのあたりが逆に書法の限界とマンネリズムを呼んでいる感もある。シマノフスキは独自の清澄な作風を持っていたといいながらも様々な作曲家のかなり強い影響を受け続け変化し続けた人であり、その影響が作品中にやや直接的で一種閉塞的な特徴としてすぐに読み取れてしまう形で提示されることがままある。ヴァイオリンの書法にせよ初期の無調的な難解さが薄れるとその雲の向こう側から見えてきたのはかなり単純なものであり、2番で見られる書法と殆ど変わらないものが結構出てきてもいる(順番的には2番が枯渇していると言ったほうが適切かもしれないが)。シマノフスキは作曲技法に走ることにより辛うじてその地位を維持できたが、元来それほど大きな独自性をもった作曲家ではなかったようだ。

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