湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ショスタコーヴィチ:交響曲第4番

2019年04月10日 | ショスタコーヴィチ

オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(ETERNITIES)1963/2/15live

 

「一人の作曲家を偏愛しない」タイプの指揮者、カラヤンなどそうだと思うが、そのバトンテクニックと馬力あるオケの機動力をフルに活用できる大曲ならマイナー曲でもやった。オーマンディはチャイコフスキーの7番、マーラーの10番といった奇曲の正規初録音をやったことでもわかるとおり新し物好きで、両作曲家の他の有名曲はぱっとした録音を残していない。ショスタコーヴィチはオーマンディはわりとやっているほうで、しかも後期のあまりやられないものまで手を出しており、そこへきてこの私見ではショスタコーヴィチ初の本格的な大交響曲である4番が出てくると、マイナー好みや新し物好きからはみ出た意外な偏愛ぶりを感じる。コンドラシンの蘇演まで封印されていた曲だが、若いころのロマンチシズムのかけらが潤滑油となって聴きやすくしており、音響的な派手さは5番よりも上を行くものでモダニストとしての残滓というより、自分の作風に完全にそういう要素を取り込んだあかしとして、「交響作家ショスタコーヴィチの誕生」を感じさせる。3楽章制の異様に長い曲だけれども、1楽章の中国風の掴みから2楽章の陰鬱、3楽章の「わけわからなさ」、すべてが骨のような削ぎ落されたオーケストレーションから発光している。すぐのちのショスタコーヴィチの交響曲の作風を予告し、オーマンディだからということもあるがここでは演奏的な破綻がなくスリリングですらなく、ただちょっとオケの音がぼわんとふくらみがあるのでショスタコっぽい鋭さが感じられなかったりもするが、少し甘い部分もストイックに、きちんと冷たくさばききる。終演後大ブラヴォで、これは会心の出来だったのだろう。ステレオで良い録音。

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