朝から今日も雨・・気温16度・・暖房を入れようかと・・洗濯物が乾かない・・一週間の予報も毎日雨とか。
7月10日から佐渡への15回目の姉妹旅行が決まった。観光は・・たらい舟に乗ると・・仲間にどうして「たらい舟」があるのかと聞かれた。
そうだよね・・
このたらい舟が考案され、実用化されたのは江戸時代~明治時代にかけてといわれていますが、契機は佐渡小木地震に伴う、海面の隆起とそれによりこの地震により、小木海岸線一帯は無数の岩礁と小さな入り江が誕生しました。。岩礁や入り江が多くなった海岸ではアワビ、サザエの貝類、やワカメなどの海藻が豊富な漁場となった一方で、従来の舟では漁に適さなくなりそのため、小回りと安定性を求める舟が必要となった結果、洗濯桶を改良した「たらい舟」が考案されました。これが観光に、この「たらい舟」は500kgまで耐え、大人3人、櫂一本で操舵可能だそうです。
また佐渡は流刑の島とも言われています。
流刑地に定められた佐渡は、722年に皇室批判を行った万葉歌人の穂積朝臣老を始めとして、1221年に承久の乱で敗れた順徳上皇、1271年に鎌倉幕府や他教を批判した日蓮聖人、1434年に時の将軍の怒りを買った能楽の大成者である世阿弥など、中世までは政争に敗れた貴族や知識人が流されてきました。 その寺々も観光の目玉でしょうか。そのほかにも藤原為兼、日野資朝、小倉実起の名が仲間が教えてくれました。