Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

東ヨーロッパの旅 38 グダンスク

2011-07-23 20:56:28 | 東ヨーロッパの旅 2011



マルボルグからグダンスクのキャンプサイトまで63km、午前10時過ぎにはサイトに着いた。ここはグダンスク郊外の海岸近くの松林の中、海水浴が目的の家族連れがテントや簡易ロッジに泊まって夜遅くまで大賑わい。グダンスクの町まで路面電車が走っていて20分で行ける。おまけに電車代もロンドンの4分の1くらいだからありがたい。




ドイツ文化の影響を受けたきれいな町で1000年以上の激動の歴史を持つ。1939年ドイツがグダンスク港突端のヴェステルブラッテに奇襲攻撃をかけ、これが第二次世界大戦の発端になったという。戦時中町は破壊されたが戦後復活し、ポーランドでは1,2位を競う美しい町として知られている。



海神ネプチューンの噴水は1633年に完成し海洋都市グダンスクのシンボルとなっている。




先週末から一週間、毎日お祭りらしく、どの通りにも露店が並び、観光客のみならず、地元の人々で大賑わい。これほどの人ごみはポーランドでも初めてだった。




バルト海につながるモトワヴァ運河の周辺は,16-7世紀頃海上輸送の最盛期に作られた頑丈な倉庫が並び、今ではお店やホテル、博物館などにに改装されている。これは全くロンドンのテームス河畔と変わらない。下の変わった建物は世界でも珍しい木造クレーンで希少価値ありとのこと。









この華麗な建物はルネッサンス様式の大武器庫で現在は改修工事で閉まっていた。前と裏ではデコレーションがずいぶん違う。







旧市街のほぼ中心にある聖母マリア教会は素晴らしいステンドグラスと15世紀に作られた天文時計は戦災を免れた。高さ82メータの塔は408段の階段を上って(運動不足をつくづく嘆いた)晴天のグダンスクの町並みに感激。









戦後長い間ソ連の統治下にあったポーランドで1980年レーニン造船所の電気技師だったレフ・ワレサ氏が労働組合を結成、パンと自由を求めてデモとストに突入、連帯をスローガンに東欧の歴史を変えていった。その連帯の記念碑がこの高い塔のうえの碇。周囲の広場には長く苦しい闘争で無くなった人たちの墓石が並んでいる。

ワレサ氏は1990年台に5年間大統領にもなりノーベル平和賞を受賞している。

この記念碑の近くに連帯博物館が在り写真展が開かれていた。1989年のソ連の崩壊と共に東欧諸国が次々民主化し自由社会が創られていった。その歴史的な数々の写真は忘れられない。
又近くの”Roads to Freedom”という地下の博物館でも闘争の歴史や人々の生活を映像や写真で見せていた。下の人形は当時の労働者が賃金をトイレットペーパーで支払われていたものを示している。







グダンスクから市街電車で40分くらいの隣町オリヴァーには、素晴らしい公園の中にオリヴァー大聖堂がある。この大聖堂の5500本のパイプから成るパイプオルガンは1755年には”、世界でもっとも美しい音色”とたたえられたという。

私たちがこの聖堂に着いたのが12時5分前、聖堂内は3台の観光バスでやってきた観光客でいっぱいで、12時と同時にパイプオルガンの演奏がはじまった。オルガンがきらびやかな音色を奏でるとき、パイプの周囲に飾られた天使の手が動きラッパを吹き鳴らす動作をする。又金色の飾りがくるくる回りこの仕掛けが動いているときには暗いその部分がいっせいに明るくなった。

バッハの良く聞く曲が20分ほど続き終わったときには拍手が上がった。若い女性奏者が立ち上がって手を振っていた。






オリヴァーへの道すがら、巨大なアパート群が目に付く。これだけ巨大で同じような建築物の連なりは元社会主義のこの国だからで在ろう。

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