Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

東ヨーロッパの旅 57 アムステルダム その2

2011-07-04 07:26:42 | 東ヨーロッパの旅 2011



以前に娘から来たメールではアムステルダムへ行くことが書いてあったので、この夜電話してみた。すると明日金曜日の夕方にはアムステルダムへ来るという。久しぶりの再開、翌夜インドネシアレストランで夕食の約束をした。







金曜日の朝は雷が鳴り響き、激しい雨が叩きつけるように降っていたが、10時過ぎて小ぶりになったので、見残したアムステルダムをみて回ることにした。
まずは昨日聞いたハーミテージ美術館、一人15ユーロも払って入ってみたところが、ロシアの小さな宗教画アイコン(イコン)の展示会をしていて、どこがいいの?と疑いたくなる。昨日のおじいさんはよっぽど宗教画が好きか、キリスト教信者かなのだろう。

もともと亭主も私も宗教画にはあまり興味が無いから、30分で出て来てしまった。全くこれならゴッホミュージアムへ行けばよかった。











雨の中すぐトラムに乗って町の中心のパレス(王宮)へ入った。ここはもともと市庁舎として建てられたが、ナポレオンの弟ルイ・ボナパルトが王宮として摂取したため、アムステルダム返還後も市が王室に寄贈したもの。現在は迎賓館として使用されている。
雨は30分おきぐらいに激しくなり、それもあって多くの人たち(老若こぞって)が雨宿りもあり入場料を払って見物していた。
市民の間は大広間の大理石の床に世界地図が描かれていた。天井のシャンデリアも素晴らしく、豪華な客室や昔は死刑判決を言い渡した審判の間がある。







王宮のモデルが飾ってあったので写したが、それで無ければこの宮殿のサイズはわからないだろう。







又国立博物館へ行き写真の不可を聞いたが、Noの答えにやっぱり入るのをあきらめて、午後2時過ぎキャンプサイトへ戻ってきた。





夕方7時に又町の繁華街へ出かけ、久しぶりで会う娘と彼女のパートナーとともに楽しい夕食をした。インドネシアの料理など初めてだったがなかなか美味しかった。

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