Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

東ヨーロッパの旅 58 ライデン 

2011-07-03 07:35:29 | 東ヨーロッパの旅 2011




このところ毎日雨が降って寒い。これというのも英国へ近づいたせいかと思う。天気予報を見ると英国の気温は10度近く、これがまだ8月だとはあんまりだ。

朝10時過ぎキャンプサイトを出てライデンの郊外のキャンプサイトへ向かった。オランダのキャンプサイトは海岸に集中していてあまり町の近辺には無い。このアムステルダムのサイトが電車の終点地の近くにあってこれはまれなことだ。バスに乗って中心地へ行けるところはまだありがたいくらいだ。





ライデンのサイトはバスもないような片田舎で、11時には着いたが連日の雨で、サイトがぬかるんでだめと断られた。
仕方が無いから、ライデンの町の中心地を目指し、ラッキーなことに大きな駐車場にキャンパーを停めることが出来た。








ライデンの町も、アムステルダムやハーレムの町と同じく、運河が縦横に走り巨大な風車と跳ね橋などオランダの風景そのもの。

この町の国立民族博物館(Rijksmuseum Voor Volkenkunde)にシーボルトが日本から持ち帰った江戸末期の民芸品や工芸品があるとのことで、ぜひこれらが見たかった。
街角にRijksmuseum のサインを見つけ土砂降りの雨の中を200メータほど歩いてたどり着き、すぐチケットを購入した。
ぬれた傘やバッグをロッカーに入れて、受付の女性に日本の展示場は何階かと聞くと、ここには日本のものはないという。地球の歩き方を見せるとここは国立古代博物館(Rijksmuseum Van Oudhaden)でエジプト、ローマ、ギリシャ、の古代の遺物を展示しているといわれて、がっかり。駐車時間も後一時間20分ほど。
近くにシーボルトハウスがあると聞き購入したチケットを返し返金してもらった。





運河をはさんだ向かいのシーボルトハウスは、4階建ての立派な一軒家で江戸末期、長崎の出島でオランダ政府から派遣されていたシーボルトが、帰国後この地に居を構え25,000点に上るコレクションを展示、又オランダ政府に売却したものである。

シーボルトはドイツ生まれの医者で、江戸時代の当時異国人は出島から出ることは許されなかったが、一週間に一度日本の若い医者たちに医療講義をしたり手術さえもしたという。日本での西洋医学の父といわれるゆえんである。













私が見たことも無いような動植物の見本や、剥製や高価なものから日用品までたくさんのコレクションに感動した。同時に、シーボルト事件といわれる禁制の日本の地図を持っていたことからおきた国外追放で、日本人妻の榎本瀧、娘おイネとの別れはどれほどの悲しみであったかと思う。

今まで知らなかったシーボルトのことなど垣間見ただけだけれども、行って良かったところの一つ。
この夜はデン・ハーグの郊外のキャンプサイトに落ち着いた。

コメント (1)
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