ウスマ湖から西海岸を南下してリスアニアへ行くのに30Kmも遠回りしてヴェントスピルス(Ventspils)の町へショッピングに行った。国道のA10が1Km毎に工事中であまり車も通らないから私たちだけが知らなかったのかといぶかったほどだった。
新市街の大きなスーパーで食料を買い込み後は一泊のキャンプサイトの料金と残りをデイーゼルを入れてこの国を出る前にラトヴィアン・ラッツを全部使い果たすつもりだった。
このヴェントスピルスの町から今夜予定のキャンプサイトまでカーナヴィをつけるとすぐに近道のとおりを指示され、いやな予感がしたものの、道はきちんと舗装されていたから、”やっぱり西のほうは経済的に豊かなのね”と言ったすぐから未舗装のみち20kmを行く羽目になった。
亭主に”この道のほうがアイスランドより少しましよ。時速40kmで走っているくらいだから。アイスランドは時速20kmだった。”と言うと”それを聞いてもちっとも気分が良くならない”との返事。まー判るけどねぇ。
この地方も暑いせいかコウノトリが多く、道端で餌を探しているのを良く見かけた。車が通り過ぎるのは平気らしいが、スピードを緩めるとすぐ飛び立ってしまう。
”英国にもコウノトリがいるよ”と亭主が言い出した。”本当に?””小さいとき自分はどこから来たのかをお母さんに聞いたら、コウノトリが運んできたといってたもん”だって。
思わず笑ったけど、思い出したのは2つ違いの兄のこと。
日本の昔の親は残酷なことを平気で言ったものだ。兄が小さいときやっぱり自分はどこから来たのかとの問いに、”高松(そこで生まれた)の浜から拾ってきた”との返事。いつもやさしかった兄はそんな小さいときに、自分は拾われっ子かと泣いたという。母から聞いたそんなエピソードは決して忘れられない。
西海岸をリトアニアへ向かう道路も東の国道も首都を離れるとだんだん悪くなり、つぎはぎだらけに大きな穴が開いていたりする。それでか走っている車も少ない。
この夜リーアパーヤ(Liepaja)の近くのサイトで一泊し、翌朝国境に着く前にガソリンスタンドを探して走るも、サイトから100km南のリトアニアの町に着くまで、村も無く店ひとつないまったく松林の国道を南下しただけだった。
リトアニアの国境にも誰もいず、道路だけは目に見えて良くなった。
リトアニアの小さな町パランガで又カーラリーの現場に行き合わせ、散々待たされた挙句通行止めだから遠回りせよと言われて、ふくれっ面。
お昼ごろにやっとクライペダ(Klaipeda)のキャンプサイトに着いた。ここは松林に囲まれた海岸に近いサイトで、リトアニア人の夏のホリデー地と在って、テントが一面に張り巡らされ、松林の向こうにしょっちゅう往復しているうるさい貨物列車の線路があった。