今月の5日に開かれた、小学校のプチ同窓会。
その席で、僕がアマチュアながら小説を
書いていることが話題にのぼった。
その話の流れから、僕が生まれて最初に執筆し、
地元のタウン誌の文芸賞で優秀賞を受賞した
小説「コカ・コーラ!」の話になった。
※「コカ・コーラ!」についての詳細は↓
http://blog.goo.ne.jp/riki1969/e/0484a1c6dfcf459e5cba1e3c94d2061e
舞台が地元で、しかも時代設定が、まさにその同窓会に
参加している連中と一緒に過ごしていた頃の物語だったので、
まだ読んだことはもちろん、そんな小説自体の存在さえ
知らなかった遠方から帰ってきた同級生の中の何人かから、
嬉しいことに「ぜひ、読みたい
」と言われた。
本来なら、3ヶ月連載されたタウン誌をそれぞれ送って
あげたいところなのだが、すでに発表から10年近い年月が
過ぎていて、連載されたタウン誌自体が、すでに僕の手元に
1冊ずつしかなかったので、後日それらをコピーし、送らせて
もらった。
先週。
送った同級生からメールが届いた。
その同級生は女性だったのだが、
仕事が休みの時に、一気に読んでくれたそうだ。
文面には、子どもの頃、明るくて可愛く人気者だった彼女らしい、
繊細で透明感のある文体で、作者である僕にとって嬉しい言葉が
綴られていた。
そしてその文中に、こんな質問が書かれていた。
故郷に住み続けるってどんなかんじですか。
----子供の頃の自分を周りが皆知っている。
子供の頃のあだ名で皆が自分の事を呼ぶ
自分の過ごした場所で子供たちが育っていく。
変わっていく島を見続ける----
この一文を目にした時、思わず、息がつまりそうになった。
いまでも上手く言葉にできないが、この一文によって、
今まで気がつかなかった様々なことを、気づかされたような気がした。
一度は実家から離れ、遠くの町で暮らしたりしたが、
今の僕は、実家にこそ住んでいないが、今も生まれ育った町で暮らしている。
いつも通勤で通う道や、その周囲の風景、香り、そして人・・・。
それらが今でも当たり前の日常である僕とは違い、この小説を読み、
返事を送ってくれた彼女にとっては、それらはすべて、今では
40数年間の人生の中の「想い出」の一部になってしまっているのだ。
僕らは今月の5日に再会した。
約30年ぶりに再会した。
懐かしい顔が集まった。
笑いが絶えなかった。
でも、それはたまたま、いろんな偶然が重なって、結果として
そうなったに過ぎなかったのだ。
事実、僕自身もそれ以降の生活は、久々に再会した彼らや彼女らと
関わりなく、今までどおり普通に営みが続いている。
いわば、あの日、あの夜の出来事は、非日常だったのだ。
だからこそ、極限に近いほど楽しい時間を過ごせたのだろうし、
またその後、僕の小説を読んでくれた彼女たちは、その小説から
はるか遠く過ぎ去った懐かしい日々をリアルに思い出せたのだろう。
懐かしく感じたのは、きっと、今の自分とはもう関わりがないからだ。
人生を、1本の糸に例えよう。
あの夜、僕の人生の糸は、何十年の時間を経て、久しぶりに懐かしい
他の糸と再会した。
しかし、それらの糸はその場で再び絡みあったり結びあったりしなかった。
ただ、一瞬だけ交差しただけだったのだ。
交差した糸は、再びすれ違い、離れ、それぞれの場所へと、または新しい
場所へと向かって伸びてゆく・・・。
そういうことではないだろうか。
それぞれが、それぞれの場所で、これからも人生の糸を紡いでゆく。
そして僕は、同級生の彼女がメールに書いていたように、子どもの頃の
自分を知る人たちが多く暮らし、子どもの頃のあだ名で僕を呼ぶ連中が
暮らし、そして変わり続けてゆくこの故郷で、これからも自分の人生の
糸を紡いでゆくのだろう。
その席で、僕がアマチュアながら小説を
書いていることが話題にのぼった。
その話の流れから、僕が生まれて最初に執筆し、
地元のタウン誌の文芸賞で優秀賞を受賞した
小説「コカ・コーラ!」の話になった。
※「コカ・コーラ!」についての詳細は↓
http://blog.goo.ne.jp/riki1969/e/0484a1c6dfcf459e5cba1e3c94d2061e
舞台が地元で、しかも時代設定が、まさにその同窓会に
参加している連中と一緒に過ごしていた頃の物語だったので、
まだ読んだことはもちろん、そんな小説自体の存在さえ
知らなかった遠方から帰ってきた同級生の中の何人かから、
嬉しいことに「ぜひ、読みたい

本来なら、3ヶ月連載されたタウン誌をそれぞれ送って
あげたいところなのだが、すでに発表から10年近い年月が
過ぎていて、連載されたタウン誌自体が、すでに僕の手元に
1冊ずつしかなかったので、後日それらをコピーし、送らせて
もらった。
先週。
送った同級生からメールが届いた。
その同級生は女性だったのだが、
仕事が休みの時に、一気に読んでくれたそうだ。
文面には、子どもの頃、明るくて可愛く人気者だった彼女らしい、
繊細で透明感のある文体で、作者である僕にとって嬉しい言葉が
綴られていた。
そしてその文中に、こんな質問が書かれていた。
故郷に住み続けるってどんなかんじですか。
----子供の頃の自分を周りが皆知っている。
子供の頃のあだ名で皆が自分の事を呼ぶ
自分の過ごした場所で子供たちが育っていく。
変わっていく島を見続ける----
この一文を目にした時、思わず、息がつまりそうになった。
いまでも上手く言葉にできないが、この一文によって、
今まで気がつかなかった様々なことを、気づかされたような気がした。
一度は実家から離れ、遠くの町で暮らしたりしたが、
今の僕は、実家にこそ住んでいないが、今も生まれ育った町で暮らしている。
いつも通勤で通う道や、その周囲の風景、香り、そして人・・・。
それらが今でも当たり前の日常である僕とは違い、この小説を読み、
返事を送ってくれた彼女にとっては、それらはすべて、今では
40数年間の人生の中の「想い出」の一部になってしまっているのだ。
僕らは今月の5日に再会した。
約30年ぶりに再会した。
懐かしい顔が集まった。
笑いが絶えなかった。
でも、それはたまたま、いろんな偶然が重なって、結果として
そうなったに過ぎなかったのだ。
事実、僕自身もそれ以降の生活は、久々に再会した彼らや彼女らと
関わりなく、今までどおり普通に営みが続いている。
いわば、あの日、あの夜の出来事は、非日常だったのだ。
だからこそ、極限に近いほど楽しい時間を過ごせたのだろうし、
またその後、僕の小説を読んでくれた彼女たちは、その小説から
はるか遠く過ぎ去った懐かしい日々をリアルに思い出せたのだろう。
懐かしく感じたのは、きっと、今の自分とはもう関わりがないからだ。
人生を、1本の糸に例えよう。
あの夜、僕の人生の糸は、何十年の時間を経て、久しぶりに懐かしい
他の糸と再会した。
しかし、それらの糸はその場で再び絡みあったり結びあったりしなかった。
ただ、一瞬だけ交差しただけだったのだ。
交差した糸は、再びすれ違い、離れ、それぞれの場所へと、または新しい
場所へと向かって伸びてゆく・・・。
そういうことではないだろうか。
それぞれが、それぞれの場所で、これからも人生の糸を紡いでゆく。
そして僕は、同級生の彼女がメールに書いていたように、子どもの頃の
自分を知る人たちが多く暮らし、子どもの頃のあだ名で僕を呼ぶ連中が
暮らし、そして変わり続けてゆくこの故郷で、これからも自分の人生の
糸を紡いでゆくのだろう。