りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

僕と彼女と週末に。

2011-05-15 | Weblog
昨日、浜田省吾のライブに行った。

広島グリーンアリーナ。
5年ぶり。
通算・・・数えたことがない(笑)

熱心なファンならご存知だと思うが、今回のツアーは、昨年発表した
セルフカバーアルバムに併せたライブツアーだった。
皮肉なことに、そのアルバムは過去に発表した曲の中から、社会問題を
比重を置いた曲たちをメインにセレクトして創られたアルバムだった。
戦争や貧困や自然破壊、そして原子力・・・。

「ヒロシマ」、「ナガサキ」に加え、新たに「フクシマ」という
カタカナの地名が生まれてしまった今年。

2011年3月11日の時点で、今回のツアーの開催は発表されていた。
しかし多くのファンは、本当に開催されるのか?と思っていた。
ツアーの規模はともかく、そのライブのコンセプトが、今の日本の
状況には、あまりにも当てはまり過ぎているからだ。

今回のアルバムでもセルフカバーされた曲で、29年前に発表された
「僕と彼女と週末に」という曲がある。
昨年発表されたアルバムはもちろん、今回のツアーの核となる重要な曲だ。

語弊があるかもしれないが、発表当時は、音楽評論家などからその歌詞を
“荒唐無稽な警告”のように評され、ほとんど黙殺に近い扱いをされていた。

しかし。

29年の時を経て、その曲の歌詞が、切迫した現実の問題としてこの国
(いや世界か?)に突きつけられる日が訪れるだなんて、誰一人として
予想していなかったのではないだろうか。

大げさかもしれないが、今回のライブツアーは、デビュー以来、
社会に対して問題提起をするようなプロテストソングを長年歌って
きた浜田省吾にとって、その真価を問われるステージになるのでは
ないか?と僕は思いながら、会場に向かった。

ライブの内容は、ここでは語らない。

このブログをお読みの方で、もしかしたらこれからライブに行かれる方も
多々いらっしゃるかもしれないので。

ただ、ふたつだけ、書いてもいいかな?

ひとつは、代表曲でライブの定番「J.BOY」が歌われた時のこと。
1人の社会人の男性が主人公のこの曲。
それまでは、日々働く人の日常の個人的な応援歌のような印象の曲だったが、
同じ歌詞、ほぼ同じアレンジなのに、今年はまったく違う視線の歌に聴こえた。
なぜなのか?
それは、会場で聴いて実感して欲しい。
ライブに行かれない方なら、何らかのカタチでこの曲を、今、聴いてみて欲しい。

そして、もうひとつ。

浜田省吾は、やっぱり浜田省吾だった。
どんなことがあっても、どんな状況であっても、浜田省吾は自分の仕事として、
見事なライブパフォマンスを見せてくれた。
エンターテーナーとして、プロフェッショナルな完璧なステージだった。
“伊達に35年もこの仕事をやってるわけじゃねぇよ”
そんな気概が感じられるライブだった。
40歳そこそこの小僧の僕が“大丈夫なのか?”なんて心配したのが失礼なほど・・・。



話は変わるが、今日は昼から息子と釣りに出かける予定。
場所は、尾道の沖合に浮かぶ「岩子島(いわしじま)」。

奇しくも浜田省吾が2歳の頃、暮らしていた島。
浜田省吾自身も、インタビューで自分の最も古い記憶は、岩子島で暮らしていた頃の
記憶だと語っている。
実際、浜田家族が暮らしていた小さなあばら家が、今も島の中に残っている。
そんな島に、これから8歳の息子といっしょに、釣りに行って来ます。
浜田省吾の「僕と彼女と週末に」の歌詞の一節を口ずさみながら・・・。

いつか/子供達に/この時代を伝えたい/どんなふうに人が希望(ゆめ)をつないできたか・・・

コメント
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