りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

りきるアーカイブス〈4〉/中古家族

2011-05-21 | Weblog
小説を書く時、最初にタイトルが浮かぶことがあるんです。

まずタイトルが浮かんで、そこからストーリーを綴ってゆく・・・まるで本末転倒のような
創作の仕方ですが、そういう創り方をした作品が僕の小説には意外と多い。
実際、今はまだ執筆していないけど、タイトルだけは浮かんでいる作品が10作以上あります(笑)

この小説も、最初にタイトルが浮かびました。

タイトルが浮かんだのは、今から6年くらい前。
ちょうど今の家を購入して、生まれ育った町に帰ってきた頃。
30代半ばになり、「家族を持った自分」というのにも慣れて、中古ながら家も買った。
良し悪しにつけて、もう若くないんだな・・・ということを実感しはじめた頃です。

若くない→新しくない→新品ではない→中古

そんな安易な公式が、自然と頭の中で構築された(笑)
あぁ、俺も妻も家も車も、もうすべて“中古”なんだなぁ、と(笑)

でも、それに対して腐ったり落ち込んだりはしていなかったですよ。
むしろ、ものすごくアクティブでした。
公私を問わず、とにかくいろんな場所に出かけて、いろんな人に出会って、いろんな経験をして・・・と
いう感じで毎日を過ごしていましたね。
30代という、最も人生で脂が乗った世代を本当に謳歌していましたねぇ。
ところが、そんな年の終わりに、ある噂が突然、僕の耳に届いてきたんです。

僕が社会に出て初めて勤めた会社の先輩が亡くなったと・・・。

実力もキャリアも引き出しも何もない、ただただ根拠のないプライドだけしか持っていなかった
20歳そこそこの僕に、広告のデザインのいろはを、最初に教えてくださった先輩でした。
僕はその会社を3年足らずで退社したので、以降、その先輩とは音信不通になってしまったんですが、
この業界も狭いのか、風の噂で断片的に先輩の話は耳に届いていたんです。
会社を退社されて独立されたとか、結婚されたとか、郷里の徳島に帰られたとか・・・。

実は、訃報を聞いたときは、またその先輩と連絡をとれるような状態だったんです。
インターネットのおかげで。
某snsで先輩の奥様と偶然にもつながって。
ちなみに、先輩の奥様も、前の会社の先輩で。
可愛いくてキレイな女性でね。
広島・大阪・東京に事業所がある、社員200人前後のそれなりの会社だったんだけど、その中でも
1、2を争うほどの人気がある、まるでアイドル的な存在の女性でした。
そういう関係から、奥様経由で先輩にも僕が今でも広告業界で働いていることが耳には届いていたようです。
でも、そうやって再びつながりが持てるようになって1年も経たないうちに、悲しい知らせが届いてきて・・・。

徳島に、走りました。

12月の上旬だったと記憶しています。
皮肉にも、先輩と奥様に10数年ぶりの再会を果たしたのが、その時でした。

この小説について語る時、僕が思い出すのは、徳島で見たまっ赤な夕日です。

先輩にご焼香して、家路をたどる時、もう辺りはすっかり夕暮れで。
クルマで訪れていた僕は高速道路のインターチェンジへ向かうために、吉野川の橋を渡ったんです。
吉野川って、「四国太郎」って呼ばれるほどの大河で、ものすごく雄大な河なんだけど、
その河の上流の方に、まっ赤な、本当にまっ赤夕日が、今まさに、沈んでいこうとしていたんです。
空も街並も空気もすべて黄金色に包まれていて、本当にキレイな景色でね。
橋を渡り終えた僕は、思わず河川敷にクルマを止めて、しばらくその景色をぼんやりと眺めていました。
後にも先にも、あんなにキレイで幻想的な黄昏は見たことがない。
おそらく、その時の僕自身の心境とか、あまりにも刺激的なことが多かった1年の締めくくりが、先輩との
そういう出来事だったこととか、そういうメンタルな理由もあって、普通以上に幻想的に見えたのかも知れません。
だけど、きっと僕は死ぬまで、あの徳島で見た夕日とその風景を忘れることはないと思います。

そんな最初に書いた当時の自身の状況と、徳島での出来事をベースに執筆したのが、「中古家族」なんです。

小説の紹介文にも書いていますが、30代後半のどこにでいる普通の男の物語。
家族を持ち、仕事をし、日々小さな迷いや不満を抱えながらも生きている男性なら、たぶん共感して
もらえるんじゃないか・・・そんなふうに思いながら執筆しました。

物語の構成は、3章から成り立っているんだけど、すべて“道”に関係する言葉を付けています。
第1章が、「バイパス」。
第2章が、「路肩」。
第3章が、「家路」。
これは、僕がクルマ好きということもあるけど、人間をクルマ、人生を道に例えてみたんですね。
そうすることで、この小説の目的や存在意義が、より明確になるような気がしたんです。

電子書籍にするにあたって、装丁をどうしようかと迷いました。
他の書籍と同じように僕自身がデザインすることも出来たのだけど、この作品だけは、ある人が
撮った写真をどうしても使いたかったんです。

ある人・・・それは先輩の奥様です。

奥様は以前から、デザイナーとして先輩と一緒に夫婦で仕事をされていたんですが、その頃には、先輩の
遺志を継がれて、先輩が立ち上げたデザイン会社の代表に就任し、日々多忙な毎日を過ごされていました。
奥様は、経営者でもあり、デザイナーでもあり、そして、優秀なフォトグラファーでもあるんです。

ちなみにその奥様とは、僕のこのブログでリンクも貼っている“sugarlessゆ~こ”さんです。
http://blog.goo.ne.jp/sugarlessyou

僕は奥様に連絡をし、この小説を事前に読んでもらって、その後、電話で装丁についてのこちらの要望を
正直に伝えました。
その時、奥様が涙声で快く承諾してくださったことを、今でもよく憶えています。

後日、奥様からメールで写真が送られてきました。
キレイな、本当にキレイな、朝焼けの写真でした。
表紙の装丁に使っているのは、その写真です。
添付写真と一緒に、その写真を撮った時の心境や状況を、奥様はそのメールで詳しくで綴ってくれていたのだけど、
それを読んでるだけで、こちらの胸が熱くなってきて・・・。
“あぁ、この二人は本当に愛しあっていたんだなぁ、だからこんな写真が撮れるんだなぁ”って、思いましたね・・・。

小説にしろ、イラストにしろ、写真にしろ、“モノを創る”という行為は、本当はとてもしんどい行為なんですよね。
どこをどうやっても、最終的には自分の身を削らなきゃ、絶対に良いものは創ることは出来ない。
それに周りの環境や人間というものにも、絶対的に左右される。
奥様からいただいた写真はそれを如実に語っていたし、僕自身もこの小説の執筆を通じてそれを痛感しました。

余談ですが、この小説を執筆していた時、僕の頭の中では浜田省吾の「家路」がずっと流れていました。
もし映画になるなら、主題歌はあの歌が一番フィットすると思います。特に物語のラストのシーンとか・・・。
この小説は、そんな物語ですね。

「中古家族」の電子書籍サイト→http://wook.jp/book/detail.html?id=208209
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