りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

何も、変わっていない。

2011-07-26 | Weblog
先日の中国高速鉄道(しかし、なぜこういう時にはあれだけ連呼していた
“中国新幹線”とは呼ばないのだろう)の列車追突事故。

事故の甚大さに目を覆った人も、その後の復旧作業には目を疑った人も
多かったのではないだろうか。
そもそも、今“復旧作業”と書いたが、現地からの報道を見る限り、どう見ても
復旧作業には見えない。

これがアフリカや南米の方の発展途上の独裁国家なら“しょうがねぇなぁ・・・”と
ため息まじりに嘆くところだが、オリンピックや万博を開催し、今やGDP世界第2位の
大国になった彼の国の行為だとは到底信じられない。

その光景は復旧作業でも救援活動でもなく、まさしく証拠隠蔽にしか見えなかった。

しかしこの光景、この行動、まるでデ・ジャ・ビューのように、以前どこかで見た
気がした。どこだろう?と記憶を辿って、思い出した。

20年前の天安門事件だ。

あの時もとんでもない行為をしておきながら、数週間後には何事もなかったような
顔をしていた。

変わっていない。

20年も過ぎたのに、彼の国は、何も変わっていない。
いくら現在の世界が、彼の国抜きでは動かなくなるほどの大国になったといっても、
中身は20年前・・・いや、彼の国が発足した時から何も変わっていないのだろう。

まるで身体だけ先に大人になってしまった、子どものような国だ。

それでも、今回の一連の事故の報道の中で、ひとつだけ光明のような光景を目にした。
鉄道省の記者会見の席で、会見を打ち切って一目散に退席しようとする担当者に向かって、
怒号を発する記者が多数いたことだ。
ひと昔前、それこそ天安門事件の頃には考えられなかった光景だ。
言論統制が厳しい(というよりもほとんど言論の自由がない)彼の国のマスメディアに
おいて、少しずつそういった部分から変わりはじめているのかもしれない。

そういった“ほころび”が少しずつ広がり、“ひび”が入り、いくつもの“穴”となって、
そこから民主化が進み、最終的には政治も経済も、いつかは完全な自由を彼の国も
手に入れるのかも知れない。

もっとも、それが世界において良いことなのか悪いことなのか、今はまだハッキリと
明言はできないけど・・・。
コメント
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