rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

時間泥棒

2012-01-16 23:30:25 | 随想たち
時間は、あっという間に過ぎ去っていく。
夜の時間を取り入れてもなお、時間は足りない。
交通の発達によって、行動範囲が広がり、移動に時間をとられる生活様式になった。
でも、分業制の発達で、生きるために必要なものを自分で作ったりしなくてもよくなる利便性もある。
様々な家事軽減の発明品によって、家事のために割く時間と手間も、格段に減った。
居ながらにして、大量の情報を取得し、買い物だってできる手段を得た。
なのに、時間はますます短くなっているように感じるのはどうしてなのか?
どこかに時間泥棒がいるのだろうか?
ふと思い当たる。
今もこうしてそれと向き合い、使っている。
それの仲間に機動性の高いものがいて、線につながれていなくても、完璧に機能できる。
パソコンと携帯電話などの高性能通信機器だ。
以前、ファミリーコンピューターゲームが、若い世代の時間を奪っていると思っていた。
しかし、テレビなどの固定されたものにつながれて使われているうちは、まだましだったのだ。
小型化し、持ち運べ、どこでもできるようになってからは、とてつもなく厄介なものになった。
それでも、ゲームは全ての世代と嗜好にあったわけではない。
ポケットベルにはじまり、携帯電話になって、多機能になったところから、その中毒性が猛威を振るい始めた。
電波の届くところなら、バッテリーが充電されているうちは、電波にいつも縛られている。
通話はもとより、メールも、心理的にかなりの拘束力を持つ。
場合によっては、やり取りが止まらなくなることもある。
相手あってのことだから、むげに無視するわけにもいかないのだろう。
だが、恐ろしいのは基本的な通信だけではなかった。
インターネットなどのウェブに接続し、溢れる情報の海に投げ出されたことだ。
ショッピング、コミュニティー、情報サイト、操作一つで無限の海に誰でも簡単に船出できる。
あるとき、恐ろしい悪魔が出現した。
プリインストールされたゲームは、単なる布石。
羊の皮を被ったオンラインゲームだ。
以前からパソコンでも、オンラインゲームは存在したが、まだ活動領域は限られたものだった。
それが、携帯電話やPDA機能が付いた多機能携帯電話の登場と、高い普及率で、誰でもが皆その世界に触れることができるようになった。
あとは、ミニブログ・マイクロブログといわれる、簡易コミュニティーサイトもある。
これらは、隙間の時間を簡単に埋めることができるようになり、どんなときもそれらが気になって、もはや空いた時間は存在しない。
かくして、人の時間は失われていく。
こうしている自分も、その罠にどっぷりと嵌っているのだが。
だから、意識して切る時間を設けないと、時間はたちまち過ぎてしまい、家事など基本のやるべきこと意外に、本を読む時間や本分をなすべき時間が、どこかへと追いやられてしまうのだ。
この、便利で魅力的な時間泥棒を、どうしたらよいものか?
なくても、生きるに支障はない。
いっそのこと、止めてしまおうか?
いやいや、そんなことはできない。
使うのは自分なのだと心に決めて、使われないようにするのだ。
使いすぎは、中毒の元。
上手く使えば、良薬だ。
ああ、難しすぎる、この時間泥棒を手なずけるのは。