「世界ふれあい街歩き」オーストラリア大陸の南端に位置する、アデレード。
長い砂浜の海岸線に、長い桟橋が突き出しているところが、1836年イギリスの探検隊が上陸し、移民者を続々と受け入れた、アデレード発祥の場所。
すぐ近くには、当時の市役所が、今もその姿を残している。
オーストラリアは、イギリスの流刑者によって開拓された街が多い。
しかし、アデレードは、自由移民によって開拓された街で、イギリスを始めヨーロッパ諸国、アフリカ、アラブ、アジアと、多国籍移民が混在している。
夢と希望を胸に、新天地を求めてやってきた、前向きな街。
開拓当初から、移民による人口増加を考慮した都市計画で、街を形作っていった。
そのことからも、海岸から少し内陸に位置する中心地には、ランドルモールという、オーストラリアで初の歩行者天国の通りがある。
アデレードは、文化と芸術の街。
そして、フェスティバルの街。
一年中晴天の多い土地柄のあってか、いつもなにやらの祭りが開かれているという。
特に”フリンジフェスティバル”アートのフェスティバルで、毎年の夏の終わりに、3週間かけて700以上もの催し物が開かれている。
演劇、音楽、アート、なんでもござれ。
もう、50年以上も続いているそうだ。
街には、フィッシュ&チップスの店が、美味しい匂いを漂わせている。
イギリス移民の食文化の名残。
赤レンガの中央市場には、パン屋、八百屋、コーヒー屋、コーヒースタンド、肉屋、魚屋など、たくさんひしめき合っている。
オーストラリアならではの食材もあり、ワニにカンガルーの肉も、ショーケースに並んでいた。
ワニはともかく、カンガルーには驚きを隠せないが、その土地の一般的なものなのだ。
かわいそうなどと思うのは、一方的に価値観を押し付けているだけ。
”ザ・ガーン”という列車は、オーストラリア北端にあるダーウィンから南北縦断2976㎞を、54時間かけて走る、高級寝台列車。
名の由来は、19世紀中頃に、オーストラリア中央を探検する探検隊によって、アフガニスタンからつれてこられた砂漠地帯探検ラクダからきているのだと。
最長1.2kmの車両が、かつてのキャラバンとはちがう、労せずに赤銅色の砂漠を快適に堪能できるらしい。
そういえば、街のオフィス街にビーチバレーのコートがあった。
近隣のビジネスマン達は、昼休みともなればそこへ繰り出し、練習に余念がない。
なんともおおらかで、生き生きとしているのだろうか。
夕方の海岸では、ボートレースの練習に励む仕事上がりの人たちもいた。
彼らは、ボランティアでライフセーバーもしているとか。
生活を、仕事に翻弄されている我々とは、かなり違っている。
何をどういう風に、どこまで望むかによって、重きをどこに置くかで、人生は変わってくる。
アデレードの人たちは、あくせくせずに人生を楽しむことを選んだのだろう。
自由移民の気質が、主体的に幸せを追求させる。
その気構えを、少し倣ってみてもいいかもしれない。
主体的とはいっても、望みすぎず、肯定的に人生と折り合いをつけていく姿勢として。
長い砂浜の海岸線に、長い桟橋が突き出しているところが、1836年イギリスの探検隊が上陸し、移民者を続々と受け入れた、アデレード発祥の場所。
すぐ近くには、当時の市役所が、今もその姿を残している。
オーストラリアは、イギリスの流刑者によって開拓された街が多い。
しかし、アデレードは、自由移民によって開拓された街で、イギリスを始めヨーロッパ諸国、アフリカ、アラブ、アジアと、多国籍移民が混在している。
夢と希望を胸に、新天地を求めてやってきた、前向きな街。
開拓当初から、移民による人口増加を考慮した都市計画で、街を形作っていった。
そのことからも、海岸から少し内陸に位置する中心地には、ランドルモールという、オーストラリアで初の歩行者天国の通りがある。
アデレードは、文化と芸術の街。
そして、フェスティバルの街。
一年中晴天の多い土地柄のあってか、いつもなにやらの祭りが開かれているという。
特に”フリンジフェスティバル”アートのフェスティバルで、毎年の夏の終わりに、3週間かけて700以上もの催し物が開かれている。
演劇、音楽、アート、なんでもござれ。
もう、50年以上も続いているそうだ。
街には、フィッシュ&チップスの店が、美味しい匂いを漂わせている。
イギリス移民の食文化の名残。
赤レンガの中央市場には、パン屋、八百屋、コーヒー屋、コーヒースタンド、肉屋、魚屋など、たくさんひしめき合っている。
オーストラリアならではの食材もあり、ワニにカンガルーの肉も、ショーケースに並んでいた。
ワニはともかく、カンガルーには驚きを隠せないが、その土地の一般的なものなのだ。
かわいそうなどと思うのは、一方的に価値観を押し付けているだけ。
”ザ・ガーン”という列車は、オーストラリア北端にあるダーウィンから南北縦断2976㎞を、54時間かけて走る、高級寝台列車。
名の由来は、19世紀中頃に、オーストラリア中央を探検する探検隊によって、アフガニスタンからつれてこられた砂漠地帯探検ラクダからきているのだと。
最長1.2kmの車両が、かつてのキャラバンとはちがう、労せずに赤銅色の砂漠を快適に堪能できるらしい。
そういえば、街のオフィス街にビーチバレーのコートがあった。
近隣のビジネスマン達は、昼休みともなればそこへ繰り出し、練習に余念がない。
なんともおおらかで、生き生きとしているのだろうか。
夕方の海岸では、ボートレースの練習に励む仕事上がりの人たちもいた。
彼らは、ボランティアでライフセーバーもしているとか。
生活を、仕事に翻弄されている我々とは、かなり違っている。
何をどういう風に、どこまで望むかによって、重きをどこに置くかで、人生は変わってくる。
アデレードの人たちは、あくせくせずに人生を楽しむことを選んだのだろう。
自由移民の気質が、主体的に幸せを追求させる。
その気構えを、少し倣ってみてもいいかもしれない。
主体的とはいっても、望みすぎず、肯定的に人生と折り合いをつけていく姿勢として。