rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

いったいどれくらい、読み聞かせをしただろう

2012-01-22 22:43:19 | 本たち
子供たちが幼かった頃、図書館から絵本を借りてきては、毎日のように読み聞かせをしたものだ。
ミッフィーの作者、ディック・ブルーナの文のないものから、わかやまけん作こぐまちゃんシリーズ。
宮西達也作おまえうまそうだなシリーズ、アン・グッドマン作ゲオルグ・ハレンスレーベン絵リサ&ガスパールにペネロペシリーズなど、様々なシリーズもの。
それ以外にも、恐竜系や食べ物系の絵本を、たくさん読み聞かせた。

今日の昼は、頂き物の生ラーメンだった。
そこで、ふと赤川明作”ラーメンのかわ”という本を覚えているかと、中くらいの人に尋ねみた。
はっきりとした内容は覚えていないけれど、子供心にも衝撃的で、うらやましく思った印象があると返ってきた。
それから、ドム・マンセル作”恐竜が町にやってきた!”を、繰り返しせがんで読んでもらったことがあるとも。

読み聞かせをせがまれて、いつまでしていただろう。
小さい人が小学2年生の頃まで、していたかもしれない。
そのときに、中くらいの人も寄ってきて、一緒に聞き入っていることもあった。
なぜか、リクエストさえする始末。

いまではもう、読み聞かせなどせがまれることはない。
かえって、風邪で寝込んでいるときに、小さい人が、本を読んでくれるようになってしまった。
中くらいの人は、自分で読みたい本を探してきたり、友達と貸し借りしては、何冊も重ね、貪るように読んでいる。
幼い頃に蒔いた読書の種が、ようやく芽吹いたのだ。
しみじみと嬉しく思う。

読書は、生涯通してできる楽しみの一つ。
誰に構わず、好きなときに好きなものを読み、楽しんだり、疑似体験をしたり、知識を得たり、自分を肥やすことができる。
しかし、時間をただ紛らわすには、いまの時代、あまり適しているとはいえない。
自らの意思で活字を追わないと、何も始まらないのだから。
能動性をもたないと、読書はできないのだ。
だから、本を読む行為は、押し付けても何にもならない。
幼い時から本の世界に親しみ、周りも本を人生の一部としているような環境が、読書を継続させる秘訣なのだと思う。
いや、蒔いた種の発芽率が上がるのに、一役買うくらいかもしれないが。

ともあれ、中くらいの人の読書の芽は出た。
それが大きく育つことを願い、本を片手に見守っていくとしよう。



今日は大寒、みぞれ混じりの冷たい雨が乾いた大地を凍えさせる

2012-01-22 00:17:22 | 随想たち
今日は、大寒。
昨日からの、冷たい雨と猛烈に吹きつける北風が、今日の前触れとなった。
1ヶ月以上も雨がなく、乾ききった大地にみぞれ混じりの雨が突き刺さっていく。
土も里山も街も人も、芯から凍えきってしまった。
庭に出て、杉や椿などの木の根元を見てみると、乾ききった土が覗いている。
たしかに、雨の勢いはたいしたことがなく、大地を浸しきるには及ばないようだ。
今日の夕方あたりから、雨脚が強くなり、これで土の中まで浸透するだろう。
ラニャーニャ現象が赤道付近で発生しているときは、寒気の南下が促され、寒さが厳しくなるという。
暑い夏、寒い冬、集中豪雨に長雨、少雨。
気候が激しく変動すると、人にとって都合の悪いことがいろいろと起こる。
人の産業活動が活発化して、二酸化炭素を大量に排出し、かたや森林伐採を容赦なく行い、温室効果ガスが地上を蓋い、温暖化を促進するとしている。
しかし、地球の長いサイクルのうちには、温暖期と寒冷期が繰り返されている。
もしかすると、温暖化と騒いでいる現在、多少の関与は否定できないにしても、地球の一時期にすぎないのかもしれない。
だからといって、化石燃料などをむやみに消費していいわけではない。
地球上の一生物であるからには、他の種に対して存在を脅かしたりしないように、生存活動をしなくてはいけないだろう。
つまり言いたいことは、ある小さな局面を捉えて、ある特定の利益を生むための大儀と手段にしてはいけないことだ。
〇〇ビジネスにしてはいけないのだ。
政治家、科学者、市民が、人為的に起こしていることを短期的に偏った見識に基づいて、ヒステリックに過剰反応しないことが求められる。
〇〇ビジネス的な、本来の趣旨や状況にそぐわないことが、身の回りで起きてはいないだろうか?
何か釈然としない、引っかかるものに、心当たりはないだろうか?
今日は大寒、みぞれ混じりの冷たい雨が乾いた大地を凍えさせる。
コタツにあたりながら、そんなことを考えてみた一日だった。