rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ホタテと七輪

2012-01-29 23:17:09 | 旅先から
北の親戚から、たくさんの活ホタテが届いた。
今が、ホタテの旬とのこと。
発泡スチロールの箱の中に、きれいに並べられたホタテは、あんぐりと口を開けているものや、固く閉ざしているもの様々。
刺身にしても食べられる、大ぶりの身と鮮度。
フライでも、バター焼でも美味しいのだが、やっぱり焼きホタテが一番でしょう。
家族でホタテにときめいていた。
すると、義父が七輪を買ってきた。
ガステーブルで焼くのもいいけれど、七輪で焼いたほうが絵になると思ったのだろうか。
我が家は、田舎住まい。
七輪で焼き物をしても、何の気兼ねもない。
ただ、寒さがかなり厳しいことを除けば、家族で七輪を囲み、焼きながら熱々を頬張ることもできる。
しかし、風邪をひくのも厄介なので、ホタテ焼き隊が、風除けの倉庫内で七輪に炭を起こし、網をのせ、ホタテを焼くことに。
はじめ、貝の平たいほうを下にして焼き、口が開いたならひっくり返す。
そのとき、平らな側に身がついていたときは、付属のヘラではがし、膨らんだ貝殻にのせて平らな貝殻を蓋代わりに蒸し焼きとする。
我が家では、酒を使わず、数滴の醤油を香り付けに垂らすのみ。
7割がた火が通ったら、蓋をはずし、染み出た水分がほぼなくなるまで焼くと出来上がり。
さて、そのお味は。
ほんのりと醤油の香ばしさがアクセントに、ホタテの凝縮されたうまみが口の中一杯に広がる。
豊かな海の恵み。
ホタテそのものが纏っている海水の塩加減が丁度よく、言うこと無しの美味さ。
風流人ならば、ホタテを七輪であぶりつつ杯を傾けるのであろうと、家人と話した。
なんにしても、いささか寒すぎて、その余裕は持てなかった。
こうしたホタテと七輪の夕べは、2夜で終わり、今その名残は庭の片隅に白い残骸をとどめている。
家族皆、大変満足できた。
ところで、七輪の魅力に魅入られた家人は、つぎは何を焼こうかとあれこれ想像しているようだ。
手近なところで、ししゃもあたりになりそうな、そんな予感がするのであった。

美を抽出する絵師、円山応挙:保津川図屏風

2012-01-29 14:43:37 | アート

保津川図屏風

「美の巨人たち」、円山応挙の保津川図屏風。
応挙、最晩年の作で絶筆。
うねるように豊かな量の水が、勢いよく岩の間を流れている。
水に濡れ色濃くなった岩は、ごつごつと硬く、その存在感は不動のものだ。
実際の保津川の景観ではなくとも、水と岩の動と静の織り成す空間は、川を知るものならば誰しも思い当たるものだ。
人は、その渓流の爽やかさと美しさを身近に愛でたくなり、庭に水の流れを模したりする。


藤花図屏風

うねる藤の古木が画面を勢いよく這い、可憐な藤の花は花びら一つ疎かにしないよう丁寧に描かれている。
藤の幹は、一本の筆に墨の濃淡を併せ持たせた付立てという技法で、一気呵成に描き上げる。
その幹と花の描き分けが、画面に緊張感を与え、旺盛な藤の命の躍動感を画面に定着させたのだ。
そうすることで、他の説明などなくても、この広い画面が無限の広がりを獲得して、生き生きとした”藤”を永遠のものにした。

応挙は、写生を重視する。
物をありのまま捉えることにより、そのものが持つ本質に迫ろうとした。
そして、物にもとより備わっている美を抽出し、普遍的なものとして描き出す。
過剰に飾り立てなくても、美はしっかりと存在するのだ。
厳しい目、美を愛しむ眼差し。
応挙は、素晴しい目を持っている絵師。
日本人にとって、人類にとって、応挙の描いた作品は、誇れる宝といえるだろう。