rock_et_nothing

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こんな気概を持つ人は、いまや絶滅に瀕しているのかもしれない

2012-01-13 00:25:21 | 随想たち
公共の益のために、私利私欲を排し、人と世界を正しいあり方へ導こうという気概を持った人は、今は絶滅に瀕しているのかもしれない。

世界が、”金神様”を頂いた経済という宗教にどっぷりと浸かり、”カネ”本来の姿を取り違えて、目先の欲望に感けるしかなくなっている昨今。
刺激の強いマネーゲーム、止まることを知らない支配欲、規制しても、法を整備しても、必ず隙間を掻い潜る。
様々な経済協定は、他者を威圧排除し、内輪では共食いを始めて強者の胃袋は膨れるだろう。
いったいこの行き詰った世界をどう立て直していくのか?
他者の存在を認知し、良心を持ち公平中立にバランスをとっていく大きな意識体に、世界を変革しなくてはいけないと、経済学者の浜矩子氏が、今朝方もテレビで言っていた。
つまるところ、人間世界は、人は作り上げているものだから、人の良心が鍵になるという、喜ばしくも絶望的な現実。

今世紀、世界的に宗教の意味合いが大きく比重を占めている。
西欧で、”神は死んだ”とツァラトゥストラに語らせたニーチェ以降、違う神がその後を引き継いだ。
欲望とは対極の縛りを失った人は、しばしの快楽を貪った後、足場を失い、虚無の世界を感じ取った。
元の神に戻ることができないものたちは、新たな神を求めて彷徨いだす。
運良くよき神に出会えるものがあれば、さらに奈落を落ちるものもある。
神々の意思か、それとも大いなる運命の仕業なのか、”神”とは、宗教とは、深遠なものである。
我々をどこへ導こうとしているのか。

本当のところ、どの神様が本物かなんて、誰も確証を得ていない。
だからこそ、他を否定するではなく、互いに譲歩して共存するのが、それこそ”神”の御心にかなっているのではないだろうか。
最後の審判、閻魔大王による死者の裁き、それらが行われるとするならば、人智の及ぶことではないから。

人は、弱い。
欲望にいともあっさりと引きずられてしまう。
宗教は、そのような人の箍なのだ。
それを、いいように使いまわすのが、人の悪いところ。

”神”も”カネ”も、それ自体悪いものではない。
どうか、公共の益のために、私利私欲を排し、人と世界を正しいあり方へ導こうという気概を持った人、世界の均衡の支点を担う人たちが、この時代に復活してくれることを願っている。
もちろん、各々自分達も、よき世界にする努力を怠ってはいけないのだ。

結局、人の良心しかないのだ。