rock_et_nothing

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懐の深い街、フランス・プロヴァンス地方のアビニョン

2012-01-21 00:33:19 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」、フランスのプロヴァンス地方にある、古都アビニョン。
滔々と流れるローヌ川沿いに、城壁で囲まれ、14世紀の70年間カトリックの法王庁が置かれていた街。
ここは、芸術家から亡命者、ユダヤ人に異端者、犯罪者までを受け入れてきた、寛容な気風を持つ街でもある。
もともと岩に囲まれた天然の要塞のような土地に、岩を切り開き、丘の上に法王庁を建てた。
法王庁が、移転してから、にわかに街は大きくなり、文化芸術の花が開いたという。

演劇は、特に有名。
夏には、1949年から法王庁の中庭を会場に、1000人以上収容できる野外劇場とし、街をあげての演劇の祭典が開かれる。
市民の演劇も盛んで、演劇講座など設けられ、様々な職種、立場の人たちが参加するのだ。
からくり人形の時計台とオペラ座のある広場で、そのオペラ座の入り口には、喜劇作家のモリエールの像が置かれていた。
また、市中の建物の壁には、演劇の一場面の絵が描かれ、街中が劇場となっているようだ。

街の街路樹としてプラタナスが植えられ、石造りの街に柔らかさを与えている。
染物屋通りのわきに、水車のある水路が流れている。
その昔、絹を運び、染色に必要な水源として使われていたのだろう。
この路もプラタナスが並び、敷かれた石畳と、心憎い風情を醸し出している。
ここにあるとある古本屋は、芸術家や移民の労働者、弁護士に商店主など、いろいろな立場の人がやってきては、話を交わすこの界隈の社交場として存在する。
いかにも、アビニョン的といえるだろう。

また、アビニョンは、質屋発祥の地でもある。
16世紀、宗教戦争やペストの疫病が猛威をふるい、人々は疲弊した。
のさばる高利貸しから市民を守る為に、修道会がお金を貸す仕組みを始めた。
1610年には、行政官の指導の下、公共の質屋が開かれる。
質草は、ドレスや貴金属、鍋釜からシーツに至るまで、バリエーションに富んでいた。
今も質屋は存続し、時の流れとともに、質草も変わっているらしい。

アビニョンの名物として、”パパリン”というお菓子があるという。
オレガノ・タイム・セージ・ニガヨモギ・杉の芽・ハッカなど60種類のハーブを漬け込んだ薬効リキュールのボンボンを、ブラックチョコレートでコーティング、その上に赤っぽいピンクのチョコレートでデコレーションしたもの。
この薬効リキュールは、かつてコレラが流行ったとき、その被害を食い止めたといういわれをもつ。
チョット大人味のチョコレートボンボンらしい。

通称アビニョン橋、サン・ベネゼ橋は、度重なるローヌ川の氾濫で橋が流され、その修復費が財政を圧迫した為、今は橋脚4つを残すのみとなっている。

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街で出会ったあるカップルが言っていたが、この街は大きすぎないところがいいと。
人の足で難なく歩きまわれる大きさ、人がそこにいて自分の存在を確かめられる大きさなのだと思う。
大きすぎる街は、個人がアリのようにちっぽけで、その存在を押しつぶすような気がするのだ。
程よい割合、人が人らしくあるために、必要ではないだろうか?