節分の次の日の昨日、お雛様を飾った。
一年ぶりに箱の中から出て、新鮮な空気のところに清々と縮こまった体を解して気持ちがよさそうだ。
これからちょうど一ヶ月、朝から夜の光の移り変わりを楽しめるだろう。
学校から帰ってきた小さい人は、飾られた雛人形を見て、喜びの声を上げていた。
あえてかしこまって雛人形の前に座って眺めなくても、日々過ごす空間にあるだけで、幾度となく視界に入り込んで、私たちの目を楽しませてくれる。
今、我が家の床の間の前には、ぽっかりと春が座っている。
季節のこうした風物は、なんとなく消費されていく日常に節目を与え、新鮮な空気を送り込むのだ。
雛人形の赤や桃色の華やかな衣装によって、寒さの残る今の時期に局所的な春が咲くから。
そのうちに梅の花がほころび始め、巷に本物の春が腰を落ち着けるだろう。
すると、雛人形は役目を終えて、次の春を運ぶことを夢見ながら11ヶ月間の眠りに戻るのだ。
そう思うと、ただ目の端で見ているだけでは、雛人形に気の毒。
もうちょっと意識して雛人形を見よう、時には小さい人と雛人形の前でお茶をするのもいいかもしれない。
せっかく小さな春を携えていてくれるのだものね。
一年ぶりに箱の中から出て、新鮮な空気のところに清々と縮こまった体を解して気持ちがよさそうだ。
これからちょうど一ヶ月、朝から夜の光の移り変わりを楽しめるだろう。
学校から帰ってきた小さい人は、飾られた雛人形を見て、喜びの声を上げていた。
あえてかしこまって雛人形の前に座って眺めなくても、日々過ごす空間にあるだけで、幾度となく視界に入り込んで、私たちの目を楽しませてくれる。
今、我が家の床の間の前には、ぽっかりと春が座っている。
季節のこうした風物は、なんとなく消費されていく日常に節目を与え、新鮮な空気を送り込むのだ。
雛人形の赤や桃色の華やかな衣装によって、寒さの残る今の時期に局所的な春が咲くから。
そのうちに梅の花がほころび始め、巷に本物の春が腰を落ち着けるだろう。
すると、雛人形は役目を終えて、次の春を運ぶことを夢見ながら11ヶ月間の眠りに戻るのだ。
そう思うと、ただ目の端で見ているだけでは、雛人形に気の毒。
もうちょっと意識して雛人形を見よう、時には小さい人と雛人形の前でお茶をするのもいいかもしれない。
せっかく小さな春を携えていてくれるのだものね。