rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ツンデレが、足音聞きつけてやってくる

2014-07-06 17:35:44 | ねこ

ごあん、おいしかったよ

階段を下りて玄関のドアを開け外に出ると、柿の木のほうからねこが小走りで近づいてくる。
こんなときはきっとおなかがすいている。
ねこは私の顔をお見上げてアイコンタクト。
「はいはい、ごはんね。」
えさをとってくる間もずっと後を付いてくる。
ははん、ものすごくおなかが減っているのだな。
ねこはえさをおわんに入れてあげるそばから顔を突っ込んで、がむしゃらに食べだす。
その姿を見ながら、写真を撮らせてくれないものかと恨めしそうに見ながら、大好きな花ベゴニア・サザーランディを写真に収めようとカメラを持ち出した。
花を写真に写していると、ご飯を食べ終えたねこがこちらに向かって歩いてくる。
はい、いただきましたとシャッターを押す。
欲を言えばもう少しゆっくり歩いてきてほしいのだが、ねこはそのまま通り過ぎ、離れたところにごろんと食休みに横たわった。
どうやらもうちょっとだけサービスしてやろうというものか。
ならば遠慮なくと、数枚写させてもらう。
すると、十分満足したでしょうとねこは落ち着く先を求めて去っていった。
少しはこちらに気を使っている節はあるものの、なんともねこは自由なものだ。
そこがまた、ねこ好きにはたまらない、いわゆる”ツンデレ”というやつか。



お礼に付き合うよ


小さな太陽


ベゴニア、サザーランディ

イチゴの苗作り

2014-07-05 22:27:59 | 植物たち
昨年の秋に買って植えつけたイチゴからランナーが伸びて、そこに苗となる株がいくつかついていた。
イチゴのランナーが伸び放題になっているプランターの近くで、兄弟がイチゴ農家という親戚の人と話していたら、その株から新しい苗を作って育てるよきアドバイスをもらう。
【「次郎が大事」、イチゴ農家で苗を作るときのコツだそうだ。
ランナーの元から2番目の株が、いい苗になるということ。
それを苗用のポットに植えつけて育て、ある程度育ったならマルチングを施したところに植え替える。
古い株は実のなりがよくないから処分してかまわなく、土の跳ね返りが病気などの元になり蟻などの虫から実を守るのでマルチングは非常に有効。】
そこで、涼しくなってそよ風の吹く今日の午後、重い腰を上げて来春のためのイチゴの苗つくりをした。
苗用ポットがあいにくと無かったから、空いているプランターなどにランナーから外した株を移植する。
成功率が高いのは親株からランナーを切り離さないで植えつけることでも、おき場所などに無理があるのでできなかった。
さて、どの程度無事に育ってくれるだろう。
そうしたら秋にはマルチングをした露地に植えつけよう。
来年の実りを今から期待している欲張りは、せっせと苗の世話をしなくてはね。


眠り、そして夢

2014-07-04 23:06:13 | アート

Matisse - The Dream


Picasso - The Dream

天候の急激な変化は、もうそろそろ半世紀生きようとする者にとって、なかなか堪えるものがある。
じっとりとした暑さからすうっと気温が下がったならば、暑さに耐えていた体が休養を訴える。
ふと椅子に腰掛けて休んだとき、食後のコーヒーを飲んでいるとき、気を失うかのようにふっと眠気が襲うのだ。
さながらその様子は、マティスやピカソの”The Dream"。
もっとも実際のところ夢など見ている余裕はないのだが。
絵画には、写真と違う画家の主観や美意識を通して変容し構築された独自の世界がある。
もし鑑賞者が、その画家の世界が発信するイマジネーションを感知受信したなら、その絵は普遍性を帯びるだろう。
マティスとピカソの絵は、私にとっての眠りの世界の一端を表した絵である。
切羽詰った、あるいは甘くけだるい午睡をこうも甘美に表現してくれた。
自分としての午睡はどう表現されるのか、頭のメモにとっておき、いつか描いてみよう。
自分にとっての眠りは、かけがえのないひとつの快楽でもあるから。


ふたりはともだち

2014-07-01 22:15:31 | 生き物たち


ラズベリーの収穫をしているとき、ふと視界に入ってきたほほえましい光景。
バラの花びらの上に、子蛙が2匹ぴったりと並んで座っている。
なんて癒されるのだろう、こんな小さな蛙でさえ寄り添うことができるのだ。
望遠レンズのついたカメラを持ってきて、その様子を撮らせてもらう。
あちこちと場所を変えシャッターを切る私に警戒したのか、蛙は直列に向きを変え、いつでも逃げられる体勢になった。
アーノルド・ロベール作「ふたりはともだち」に登場するのはかえる君とがま君だけれど、蛙だって1匹でいるのはさみしいのだろう。
命あるものが穏やかに寄り添う姿はいいものだ。
人間も互いの命を尊重しあい、静かに寄り添うことをしよう。
奇跡的に存在するすばらしい命だから、そのかけがえのない重みをとくと承知しなければなるまい。