日本犬のコールが12歳で亡くなり、翌年の1970年にピレニアンと出会い、6月に我が家に45日の子犬を迎えロミと名づけました。
日本にピレニーズが入ってから10年目のことで数は少なく、飼い方を相談するのはブリーダーの犬屋さんハウスユキエ犬舎夫妻だけでした。
当時我が家の庭は広く、正面は日本式に作られて池があり石の橋がかかっていました。娘と写した橋の上での写真は生後5か月の頃です。
バラの消毒をしたときは、竹垣で仕切られた庭の北半分で、遊ばせました。
義母はしっかりした難しい姑女で、バラが虫や病気の被害にあうと私のせいにされて叱られましたので、私はバラに対して愛情が薄れて、継子扱いの気分になっていました。
そんなころ我が家に迎えたピレニ―ズ(当時日本ではピレニアンとよばれた)は犬好きの私の心を虜にしてしまいました。
私のピレニーズとの生活はここから始まり、38年間が流れたのです。