つれづれ日記

心と目の記録

三鷹事件

2008-09-25 16:18:22 | Weblog

女学校に通っていた時には、右の看板のあるお店の前を通り、駅に入ったのです。

反対側から見た写真です。東側、(つまり吉祥寺方面)からで私はこちら側から見たのです。
どうやって無人電車がこの勢いで、下りホームを超えて道路まで突き進んだのでしょう。今実験したくても不可能なことでしょう。

 


玉川上水と三鷹駅

2008-09-25 16:14:54 | Weblog

井の頭公園のわきを流れる玉川上水は流れが速く、覗くと吸い込まれるような恐怖を覚え、子供たちは人食い川と呼んでいました。
玉川上水の起源は、1652年11月、幕府により江戸の飲料水不足を解消するため、多摩川から水を引く開削計画が立てられて始まり、1654年江戸市中への通水が始まったという古い歴史があります。
三鷹駅のわきから、井の頭公園の万介橋まで草花を摘みながら、川べりをよく歩いたものです。
今のように柵などなく、草が茂りうっかりすると滑って落ち、、底がえぐれているので助からないといわれました。
この川の三鷹と万介橋の中間で、1948年(昭和23年)の6月に太宰 治は山崎富栄と入水心中をし、翌日私は早速見に行きましたが、川べりは何事もなかったように草が茂っていたのを覚えています。
三鷹駅は私が武蔵境の女学校(現都立M高校)に通っていた時、毎日この駅から乗りました。(東京方面へは吉祥寺から乗ります)

1949年には世にも不思議な3大事件が起こりました。
7月6日に下山事件、7月17日に三鷹事件、8月17日に松川事件です。
私は当時高田の馬場にある、中央美術研究所に、通っていました。
プロのヌードモデルさんが来て、デッサン、クロッキーや油絵など描き、、6時から9時までです。帰りの電車に乗っている時に電車が止まり、何時間も動きません。(三鷹駅構内で電車が暴走したのは午後9時23分)

汗びっしょりになって、吉祥寺の駅に着いた時にはもう夜中の1時で、母が迎えにきていました。
翌朝三鷹駅での事件と知り、すぐ見に行きました。
女学校に行く時に乗った下りホームを超えて電車が道路まで来ているのです。
(検索をしたら、写真がったので載せました。)


井の頭公園で

2008-09-25 10:38:49 | Weblog

私の家は吉祥寺と三鷹の間にあり中央線の北側でした。
4歳から20歳まで暮らした家から、北村先生の家には10分で行けるところです。井の頭動物園の動物たちの声がよく聞こえ、夜にはお稲荷さんに住むフクロウの声が聞こえました。
現在の武蔵野税務署のある場所に小高い山になって、上にお稲荷さんが祭られていました。
井の頭公園にはよく遊びに行き、大自然に包まれた環境は私にとって別天地でした。父が撮った兄弟3人の写真です。

年をとり、家族が老いて写真も書くことも思い出ばかりになってしまい、自分史を書いているようです。