井の頭公園のわきを流れる玉川上水は流れが速く、覗くと吸い込まれるような恐怖を覚え、子供たちは人食い川と呼んでいました。
玉川上水の起源は、1652年11月、幕府により江戸の飲料水不足を解消するため、多摩川から水を引く開削計画が立てられて始まり、1654年江戸市中への通水が始まったという古い歴史があります。
三鷹駅のわきから、井の頭公園の万介橋まで草花を摘みながら、川べりをよく歩いたものです。
今のように柵などなく、草が茂りうっかりすると滑って落ち、、底がえぐれているので助からないといわれました。
この川の三鷹と万介橋の中間で、1948年(昭和23年)の6月に太宰 治は山崎富栄と入水心中をし、翌日私は早速見に行きましたが、川べりは何事もなかったように草が茂っていたのを覚えています。
三鷹駅は私が武蔵境の女学校(現都立M高校)に通っていた時、毎日この駅から乗りました。(東京方面へは吉祥寺から乗ります)
1949年には世にも不思議な3大事件が起こりました。
7月6日に下山事件、7月17日に三鷹事件、8月17日に松川事件です。
私は当時高田の馬場にある、中央美術研究所に、通っていました。
プロのヌードモデルさんが来て、デッサン、クロッキーや油絵など描き、、6時から9時までです。帰りの電車に乗っている時に電車が止まり、何時間も動きません。(三鷹駅構内で電車が暴走したのは午後9時23分)
汗びっしょりになって、吉祥寺の駅に着いた時にはもう夜中の1時で、母が迎えにきていました。
翌朝三鷹駅での事件と知り、すぐ見に行きました。
女学校に行く時に乗った下りホームを超えて電車が道路まで来ているのです。
(検索をしたら、写真がったので載せました。)