メタモルフォーゼ・4・転校生のふりをすることになった
レミネエが貸してくれたのはギンガムチェックのワンピースだった。
「やだよ、こんなシーズン遅れのAKBみたいなの!」
「同じ理由で、進……美優に貸すんだって」
「どうせなら、パンツルックにしてよ。Gパンかなんかさ」
「まあ、先生に診てもらうまでの辛抱。下鳥先生に診てもらったら、案外簡単に治るような気がする。あんたら姉弟を子どもの頃から診てもらっている先生だから」
確かに下鳥先生は名医だ。ボクの髄膜炎も、早期に発見して危ないところを助けてもらった。でも、この突然の変異は治すどころか、信じてもらえないだろう。
家を出たところで、向かいのオバサンに掴まってしまった。
「お早うございます、浅間さん、親類の子? 可愛いわね」
「ええ、姉の子で美優って言いますの。いえね、進二と国内交換留学で……ええ、最近流行らしいですのよ」
「美優です。よろしくお願いします」
「こちらこそ。そのギンガムチェック似合ってるわね。そうだ、ちょっと待っててね」
オバサンは家の中に入っていった、入れ違いにマルチーズのケンが出てきて、さかんに尻尾を振る。昨日の朝までは、ボクを見ては吠えていたバカ犬だ。
「まあ。ケンたら、カワイイ子には目がないんだから。これ付けてみて……」
あっと言う間にポニーテールに、あつらえたようにお揃いのギンガムチェックのシュシュをさせられた。
「由美子が、なんかの景品でもらったんだけど、恥ずかしいからって、そのままになってたの。ウワー似合うわ! で、美優ちゃん。上のお名前は?」
「え、あ……渡辺です」
「渡辺美優、まるでAKBみたいなね!」
「うちの姉ちゃん渡部だわよ」
「でも、美優で、とっさに苗字聞かれたら渡辺になっちゃうよ」
「あんた、足が外股……」
で、下鳥医院に着いた。
さすがに下鳥先生で、最初こそ、ビックリされたものの直ぐに理解してくれた。
「血液型もいっしょだし、何より手相がいっしょだもんね」
ルミネエが手相に詳しくなったのは、この先生のせい。先生は「手相を見て上げる」と言っては注射をする。だから、ボクの手相の記録も持っている。
「奥さん、進二君を孕んだときに、遺伝子検査表持ってきたでしょう、二回も」
「ええ、高齢出産だったもんで、心配で二カ所の産婦人科で……それが?」
「今だから言うけど、最初の性染色体は♀だたのよ。それが二度目は♂だった」
「え……!?」
「推測だけど、進二君は二卵性の双子だった。それが、発育のごく初期に♀の方が♂に取り込まれ、それが、何かの刺激で♀の因子が急に現れた」
「そんなことって、あるんですか?」
「双子じゃないけど、そういう両性の因子を持って生まれてくる子は時々いるの。でも、体の変化は、こんなに早くはないわ。ま、きわめて、きわめて希な解離性同一性障害……」
「なんですか、それ?」
フライングして、ボクが聞いた。
「多重人格。しんちゃんの場合は、体の変化が先に起こって、心が後に現れるのかも……医学的には、そうとしか理論づけられない」
「先生、それで診断書書いてください!」
お母さんが叫んだ……。
「……というわけなんです先生」
先生と言っても、下鳥先生ではない。我が担任のウッスンこと臼居先生である。で、ここは校長室。従ってウッスンの隣りにはバーコードの校長先生が座っている。
ボクは、ここで一つ学習した。大人は書類に弱い。下鳥先生の「疑解離性同一性障害」の診断書はテキメンだった。目の前の怪異を書類一枚で簡単に信じた。
「生徒には、転校生と説明しましょう。元に戻れば、元々の浅間進二君が帰ってきたことにして。それで行きましょう」
「運営委員会にかけなくていいですか?」
「教務部長と保健室の三島先生にだけは事情説明しておきましょう」
「しかし、長引くと……」
「わたしが責任をとります。生徒の利益が第一です。伏線をはります。今から校内を見学してください。臼居先生、付き添いよろしく」
「はい、では、こちらに」
「臼居先生」
「は?」
校長先生は、ズボンを揺すり上げる仕草をした。ウッスンは腹が出ているので、すぐに腰パンになる。
校長室前の姿見を見て驚いた。ボクの、美優の人相が微妙に違う……。
「お母さん、顔が変わってきた……」
「……目尻や口元が……気にしない、なんとかなるよ先は!」
お母さんが、思い切り背中をどやした。お母さんの不安と頑張れという気持ちがいっぺんに伝わった。
勝手知ったる学校を、物珍しく歩くのには苦労した。で、生徒のみんながジロジロ見て行くのには閉口した。途中で「やってらんねえ!」という顔のヨッコに出会った。ボクがいないので部活も苦しいんだろう。
五メートルほどで目が合った。びっくりした顔をしている。
「マジ、カワイイ……」
昨日自分が引き回した進二だとは分かっていないようだ。でも、この姿形カワイイのか?
「もう、このへんでけっこうです」
みんなの視線が痛くて、もう耐えられなくなった。ウッスンはクソ正直に学校の隅から隅まで連れて行くつもりだ。もういい!
学校からの帰り受売(うずめ)神社が目に入った。夕べ転んで、聞いた声を思い出した。
「お母さん、お参りしていこう」
不思議なんだけど「元に戻して」じゃなくて「無事にいきますように」と祈っていた。
――まあ、頑張りいな――
そんな声が頭の中で聞こえた。お母さんに聞こえた気配がないので、何も言わなかった。
「あたし、お守り買ってくる」
お守りを買って、一人称が「あたし」になっていることに驚いた……。
つづく
王室専用ジェット機に浮かれていたのは、ほんの30分ほどだった。
領事館から空港に行くまでも大変だった。行く先々で、マスコミとニュースで知ったミーハーの人たちがいっぱい。ほんの昨日まで、ハーフという以外は普通の女子高生(それもパッとしない府立高校)だったミナコは、一夜で、AKBを抜いてしまう『時の人』になってしまった。
「にこやかに手を振って……パーじゃなくて、手の甲を見せて優雅にね。真奈美ちゃん、窓ガラスに顔をくっつけないの。あなたは妹なんだから、お姉さんより目立っちゃダメ……」
リムジンの中では、お祖母様から指導的注意の受けっぱなし。運転席にはダニエルとシュワちゃんみたいなダークスーツ。その前列のシートともガラスで仕切られている。前後には、白バイ2台と覆面パトがワンセットずつ。ミナコは王女候補というよりは、国外追放される世界的な犯罪者のように思えてきた。
関空のエプロンに、直接リムジンで入っていったのにも驚いた。
「この方が、一般の利用者の人たちに迷惑を掛けないですむの」
「なんだか、まるで拉致されてくみたい」
「うん、その言葉は使い方によってはウィットになります。ただし、日本国内で、その言葉はいけません」
「ええ、どうして……ですか?」
すっかり東京弁になって、真奈美が聞いた。
「その言葉で傷ついている人がたくさんいるからよ。真奈美ちゃん」
「ああ、北朝鮮の!?」
「そういう、直裁な物言いもいけません。ミナコも気をつけてね。コレ、足を組んじゃいけません」
「だって、車の中だよ?」
「上半身で分かってしまうの、それから車から降りるときは腰を回転して両足を揃える。スカートの裾を乱してはいけません。あとはわたくしの後に付いて、わたくしが握手した人には同じように握手。それから……」
と、そこでリムジンはやっと飛行機の前に着いた。あやうくお祖母様と生活指導の長瀬のオバハンとの区別がつかなくなるところだった。
飛行機に乗って、シートでおすまししていると、お祖母様が、やにわに帽子を投げ出し、ヒールも脱いで、リクライニングを最大に倒してひっくり返ったのにはびっくりした。
「あ、あの、お祖母様……」
「飛行機に乗ったらプライベート。くつろがなきゃもちません。わたくしは、これからベッドルームで仮眠をとります。あと三つベッドルームがあるから、あなた方も眠っておきなさい。服は脱いで、シワにならないようにね。水平飛行になるまでは、シートで我慢して」
それから、睡眠導入剤をもらって、母子三人は眠りについた。よくできた薬で、6時間ちょうどで目が覚めた。
それから、ゆっくりさせてもらえるのかと思ったら、テーブルマナーの練習を兼ね軽い食事。そのあと、再びレクチャー。7日間の予定と、向こうの国の主だった人の名前と顔を覚えさせられた。これが、90分。英語とフランス語のスピーチを5分ずつ二本二時間かけて覚えさせられた。
「ミナコ、えらいわね、ここまで覚えられるとは思わなかったわ」
女王が誉めてくださった。
「あ、わたし、俳優志望なんで、なんだか、お芝居の基礎練習みたいな感じで、割に楽しいんです」
「まあ、そうだったの。人には内緒だったのね、わたくしの資料にはありません」
この時、女王がニンマリしたのをミナコは気づかなかった。
「じゃあ、到着の30分前までは自由にしてちょうだい。妹さんも退屈しているようだから」
「ありがとう、お祖母様。もうミナコ公国には入ったのかしら?」
「今はイタリアの上空、そっちの窓からアルプスが見えるわよ」
「うわー、あれがアルプス!? ハイジはどのへんにいてんねんやろ?」
仮眠をとった真奈美は、再び大阪少女に戻っていた。
アルプスは美しかったが険しそうでもあった。まるでミナコの一週間を暗示するように……。
🍑・MOMOTO・🍑デブだって彼女が欲しい!
56『今年の春はきらいだ』
考えた末に見送るのはやめた。
見送るというのはドラマチックすぎる。
旅立つ桜子といっしょにホームで新幹線を待つとする。
少し向こうで、桜子のお父さんとお母さんが下の二人の子の手を引いて、ホームの彼方、列車がやってくる方向を向いている。
新幹線、新型だぞ――お父さんの声が小さく聞こえる。桜子の弟と妹は、手を引かれながら、ホームから身を乗り出すようにしてレールの彼方を見ている。一見子どもをあやしているように見えるが、オレと桜子の別れに水を差さないためなんだということは分かってしまう。
桜子とは幼馴染だから、お父さんお母さんとも気心が知れている。知れているから、気遣いがよく分かる。
いつもなら考えなくても言葉が出てくる。いまは考えても言葉が出てこない。いや、考えたらとてもチグハグな言葉しか出てこないだろう。チグハグなのに想いの溢れた言葉が。
やがて新幹線がホームに入ってくる。停車時間はほんのわずか。
「見送りありがとう」
「ああ、ってか、それ三回め」
「三回も言われるのいや?」
「ん、んなことねえよ」
「だって、怒ってるみたいだよ」
「こういう顔なんだ」
「そっか……じゃ、行くね」
「う、うん」
桜子は、一両分むこうに行って家族と一緒に車両に乗り込む。もうオレの方には振り返らない。ドアが閉まって発車のメロディーが流れる。
桜子の車両まで行きたい衝動に駆られるが動かない、動けない。
やがて新幹線は動き出し、桜子の車両がオレの前にさしかかる。
窓越しに桜子と目が合う、桜子の目が潤んでいる。
ん……車両が停まった……じゃなくって、オレが車両を追いかけている。で、すぐに新幹線はオレを追い越し、あっと言う間にレールの彼方に小さくなっていく。
おそらくこんな風になる。
きのうホテルでお互いを確かめようとした。幼馴染みから、その先に行くために。
で、桜子のホクロを確認しただけで果たせなかった。思い出しても凹むので詳述はしない。
ベッドの中で冷静になってしまった。
「……桃斗」
「ん……?」
「その……ごめんね」
「なんであやまるの」
「あたしが雰囲気作っちゃったんだ」
「どっちとも言えないだろ」
「あした……見送りになんかこなくていいから」
「あ……うん」
多くは語らなかったけど、お互い雰囲気に弱いということを遠まわしに自覚した。
桜子は生まれて初めての引っ越し、それも三年への進級を間近にして転校をしなければならなかった。今までの自分が無意味でなかったことを、17歳までの国富での人生が実りの有るものだと信じるために、オレに心を傾斜させていった。
だから110キロから減らないオレの体重にも目をつぶったんだ。
オレも、それに甘えて、ちっとも体重を減らさなかった。
口には出さなかったけど、もう雰囲気に流されることは止そうと思った。雰囲気を作ってしまうことは止そうと思った。
だから、オレは見送りには行かない。
桜子も望んでいないし。
今年の春はきらいだ。