魔法少女マヂカ・006
語り手:安倍晴美
1+1=2
世界で一番単純な数式、これを疑う奴はいない。世界の常識……なんだけど。
高校生の時にこんなことがあった。
授業中居眠りばっかりしてる男子が居た。特に成績が悪いわけでもないので先生たちも注意をしない。
ある日、数学の先生が、寝てるそいつを当てた。
「おい、〇〇」
「先生、こいつ起こしても起きませんよ」
委員長が控え目に言う。
「起こしてるんじゃない、質問してるんだ」
男子は『質問』という言葉に反応した。馬鹿でも不良でもないので、起こされると起きないが『質問』と言われると、それなりに反応するのだ。
「〇〇、1+1はいくらだ?」
世界の常識、小学一年でも分かる問題なので「えーと、2です」と答えた。
「え、なんつった!?」
先生は真面目な顔で驚いて、繰り返した。
「もう一度聞くぞ、1+1はいくらだ? いくらなんだ?」
「え……2……です」
「2、2だとお!?」
周囲の者がクスクス笑う。わたしも笑ったんだけどね。
「1+1だぞ、1+1!」
「えーと……」
「1+1の答えは1だろーがあ! もっかい聞くぞ、1+1の答えは!」
「あ、と……1です」
教室は大爆笑になり、男子は「え? え?」とうろたえるばかりだった。
なんで、こんなことを思い出したかというと、二年B組の渡辺真智香のことだ。
周囲から聞こえてくるのは――渡辺真智香は入学時からずっと居る――というもので、中には中学時代の真智香のことを知っている者もいる。
だけど、わたしには違和感がある。
先日B組に授業をしに行って――こいつは誰だ?――と思ってしまったんだ。瞬間見た自作の座席表にも渡辺真智香どころか、真智香が座っている席すら無かったのだ。授業進度が気になったので、そのままにした。
職員室に戻って、あれこれ調べると、真智香は入学以来存在していたという情報ばかり。さっき確認した自作の座席表にも、座席と共に真智香の名前があった!?
勘違いか。
一度は納得しかけたが、今月いっぱいで終わる非常勤講師がもう三か月延びることになり、再び疑問が深くなる。
そこで、高校時代の1+1問題を思い出したのだ。
ほんとうは、わたしが正しいのではないだろうか……?
そんな疑問をいだきながらの仕事帰り、日暮里駅の太田道灌像の横、横断歩道を渡って駅に入ろうとして気配を感じた。
道灌像の台座に隠れるようにして黒い犬がいたのだ。
世間の犬は首輪が付いて、首輪にはリードが付いていて、リードを持った飼い主がいるものだ。
ところが、そいつは飼い主がいないどころか、リードも首輪も付いていない。こいつは、今や文学作品の中にしか存在しない野良犬というやつか?
「いいえ、野良犬ではありません」
なんと、犬が喋った。
「驚かせてすみません、そのままで、ちょっと話してもいいですか?」
日暮里駅を目の前にして、目玉だけ道灌像の下の犬を見続ける。
「犬が、なんの用?」
「先生がお気になさっている渡辺真智香のことでございます」
「真智香のこと!?」
「お静かに、お顔は駅の方を……」
「真智香が、どうよ?」
「あれの正体は魔法少女でございます。先日復活いたしまして二年B組の渡辺真智香になりました。周囲の方々には疑似記憶を刷り込んでありますが、いかんせん、安倍先生には記憶の刷り込みが通用いたしません。小細工を弄しては、かえって先生や周囲の方々を混乱させるだけと存じまして、こうやってお願いに上がっておる次第でございます」
「魔法少女って……昔アニメとかでしか見たことないんだけど」
「はい、実際に存在するのでございます。詳しいことを申し上げる暇はございませんが、真智香、ホーリーネームはマヂカでございますが、マヂカのことは先生の胸に収めて接してはいただけないでしょうか。先々の事は分かりませんが、必要なことが起こりましたら、先生にもお知らせするということで……いえ、けしてご迷惑をおかけするようなことはいたしません。先生のお気を煩わせぬよう気を付けますので、よろしくご了解ください」
黒犬はペコリと頭を下げた。
「で、あなたは何なのよ? 白戸家のお父さんなら白犬だし」
「申し遅れました、魔王の秘書を務めておりますケロべロスと申します。それでは失礼いたします……」
視界の右端から黒犬の気配が消えた。