くノ一その一今のうち
忍者にはスジってもんがあるんだ……
忍冬堂の目を細めた顔が浮かんでくる。
今日も殺陣の仕事を終えて事務所に帰る車の中。
まあやは二度ほどで憶えてくれたんだけど、ゲストのアイドル俳優のニイチャンが腰が引けて、なかなかOKが出なかった。理由は分かってる、殺気がありすぎるんだ、わたし。
お芝居なんだけど、ジュラルミンの刀だと分かっていても、刀を構えるとどうしてもその気になってしまう。
だから、アイドル俳優ビビらせて、撮り直しばかりだった。
で、気疲れから、ついウトウトして忍冬堂の問わず語りを思い出してしまう。
「忍者にはスジってもんがあってね、Aという大名に仕えるとしくじりばかりだが、Bに乗り換えたとたんにうまく行くことがある。忍者のしくじりは命に係わるから、まとめ役の上忍は気を配ったもんさ。映画や小説とかじゃ、忍者はバタバタ死んじゃうんだけど、じっさいは、本人も死にたくねえし、使う方も死なせたかねえ。忍者一人使えるように育てるには、べらぼうな金と時間がかかってる。だいたい忍者の里ってのは、有名な伊賀にしろ甲賀にしろ山がちで米なんか作れねえところだ。忍者の稼ぎは、まんま、里の女子供を食わせるための命綱だしな、みんな命は惜しんだもんさ。だから、どこの仕事を引き受けるかは、とっても大事なことだったのさ。それを見極めるために目利きの上忍は気を飛ばして、その適性を見るんだ……内緒なんだろうが、百地は分かってるんだろうねえ……わざわざメモを回覧板に挟んでくるんだもんなあ……こりゃ、太閤記のスジで協力してくれろってなぞなんだろうけどなあ」
「太閤記って、豊臣秀吉の一代記なんですよね?」
「そうだよ、古くは太田牛一、小瀬甫安、明治からこっちの決定版なら吉川英治に司馬遼太郎ってとこだが……おれっちみたいな昭和のテレビ世代は、古本屋が言うのもなんだけど、大河ドラマの『太閤記』だね。緒形拳の秀吉はピカイチだったけど、高橋浩二の信長も良かったねぇ。ご婦人方の人気がすごくってさ、信長の助命嘆願の手紙がNHKにいっぱい来ちまって、本能寺の変は、シリーズも半ば過ぎの六月まで放送できなかったって伝説さ。そうだ、ちょうど頂き物の太鼓焼きが……あったあった、婆さん、お茶淹れとくれ、百地の若い子と話しすんだからよ。まあ、遠慮なんかいらねえ、そうだ、今日は、もうアイドルタイムにしちまおう」
「すみません、回覧板持ってきただけなのに(^_^;)」
「いいさいいさ、百地んとこは腐っても芸能プロなんだしよ、ひょっとしたら、久々の太閤記でブレイクすんのかもな。いや、これはなかなかの辻占にちげえねえ」
「まさか、アハハハ」
忍冬堂とのやりとりは、ついこないだのこと……そんな感じなんだけど、もう三月も経っていて、三年生の風間しのとしては進路を決めなくちゃならない。
大学とか短大にいく余裕なんてうちにはないし、最近安定してきたバイトのギャラで行けるようなものでもない。
いっそ、百地芸能に就職? いや、太閤記の話ってかけらもないし。
まあ、あれは年寄りの夢とかゲン担ぎなんだろうね。
最近では、鈴木まあやに気に入られて、レギュラーの時代劇だけじゃなくて、ドラマでは専属の代役をやったりしている。むろん後姿とかスタントばっかなんだけど、このギャラが、けっこういい。
二三年も、まあやの代役やったら、短大くらいいけるお金が貯まるかもしれない。
でも、そうすると二十歳超えてしまって……ニ十二くらいで短大卒……ありえない。
でもでも、忍冬堂が言うように、忍者にはスジ……って言うのも頭をよぎるしねえ。
なんなんだろうね、太閤記のスジっていうのは……
☆彡 主な登場人物
- 風間 その 高校三年生
- 風間 その子 風間そのの祖母
- 百地三太夫 百地芸能事務所社長 社員=力持ち・嫁もち・お金持ち
- 鈴木 まあや アイドル女優
- 忍冬堂 百地と関係の深い古本屋