銀河太平記・180
老中首座 老中首座 お上のご用命です至急黒書院までお越しください 繰り返します……
あやうく印判を押し間違えるところだった。
板倉、酒井の二人の老中もキーを叩く手を停めて城内放送のモニターに目をやる。
この春にモデルチェンジしたモニターには、初代様から変わらない広報係が笑顔でイレギュラーな呼び出しを繰り返している。
「どういうおつもりだ上様は?」「ちょっと変だな」
板倉、酒井の老中もデイスプレーの画面から顔を上げる。
普通、城内呼び出しは内線でおこなう。内線で掴まらない場合だけ例外的に城内放送を使うこともあるが、わたしは朝から御用部屋と呼ばれる老中共同執務室に詰めている。
「上様に心づもりがおありなのだろう」「抜き差しならぬご相談、いや、御下命かもしれんなあ」
「一時間で戻らなければ黒書院に電話してくれ」
「「こころえた」」
同輩二人の返事を背中に黒書院への廊下を進む。廊下で出会う役人どもも――なんですか今のは?――という顔をしている。
城内放送は城内全域に聞こえるばかりではなく、静かにしていれば城外でも聞こえる。風向きによっては半蔵門を超え、近ごろ問題が起こりつつある虎ノ門方面にも届くだろう。この瞬間に黒書院に飽和攻撃が加えられたら、幕府は一瞬で消滅する。
「なに用でありましょうか、お上?」
「そう尖らないでくれ、新右衛門が心配していることは全て織り込み済みのことだ。いい刺激になるだろ?」
黒書院の上様は、部屋住みであったころのような気楽さで出鼻をくじかれる。
「赤間関や移民問題で多忙なのです、お手短に願います」
「そうか、ならば簡単に言う。新右衛門、大老職を引き受けてくれ」
「大老職!?」
「地球のあおりをくらって、この火星も安定を欠いている。このままでは、マース戦争以来の戦いが起こる。強い指導力がいる」
「畏れながら、それは、それこそが上様のお役目かと存じます」
「わたしはね、良き表札になろうと思うんだよ」
「権威に徹するということでありますか」
「将軍は権威の源であればいい、新右衛門たち幕閣が相談して国の方向を決め、将軍は、それを裁可する。ゆくゆくは議会の権限を大きくして軍事・外交・政策の全てを議会と、その代表である大老に任せたいと思う」
「立憲君主制の日本化でありますか」
「日本化はまだ先だ」
「英国流?」
「『君臨すれど統治せず』という点に置いてはな。しかし、あれは君臣が対決的だ。イギリスでは議会に国王が臨席するとき、国王はガードに玉座の周囲に爆弾が仕掛けられていないか調べさせ、議会は王宮に人質を差し出す。そんな対立的なものではない。日本化するのが理想だが、あれには二千年の年月が必要だ、この火星の状況で二千年も待てない」
「それでは?」
「強いて例えればプロシャ、皇帝の指導力を残しつつ国家指導の実質を宰相が預かるという形だ」
「この新右衛門にビスマルクに成れと?」
「その顔にビスマルクのヒゲをつけたら、扶桑の子どもはみんな逃げ出すぞ」
「ムム、ならば、新右衛門からも申し上げます」
「なんだ、たいていのことでは凹まんぞ」
「早く御台所様をお迎えなさいませ、お世継ぎを設けるのは将軍の大事な務めでございますぞ」
「それは、今少し火星が安定してからだ。いざとなったら、弟のところから養子をとればいい」
「それは……幸い、ここは黒書院、白書院ならいざしらず、お互いにティータイムの余談ということにしておきましょう」
「ムム……白書院は幕府正式の対面の場、あそこで言ってしまえば完全に命令になってしまう」
「では、仕事も溜まっておりますので、これにて……」
「よし、ならば、奥の院で話そう」
「お、奥の院でございますか……!?」
「あそこならば、将軍私的な場所である。文句はあるまい」
「ムム……」
「あそこで違えれば……おお、想像するだに震えがくる。のう、新右衛門」
「…………上様(-_-;)」
☆彡この章の主な登場人物
- 大石 一 (おおいし いち) 扶桑第三高校二年、一をダッシュと呼ばれることが多い
- 穴山 彦 (あなやま ひこ) 扶桑第三高校二年、 扶桑政府老中穴山新右衛門の息子
- 緒方 未来(おがた みく) 扶桑第三高校二年、 一の幼なじみ、祖父は扶桑政府の老中を務めていた
- 平賀 照 (ひらが てる) 扶桑第三高校二年、 飛び級で高二になった十歳の天才少女
- 加藤 恵 天狗党のメンバー 緒方未来に擬態して、もとに戻らない
- 姉崎すみれ(あねざきすみれ) 扶桑第三高校の教師、四人の担任
- 扶桑 道隆 扶桑幕府将軍
- 本多 兵二(ほんだ へいじ) 将軍付小姓、彦と中学同窓
- 胡蝶 小姓頭
- 児玉元帥(児玉隆三) 地球に帰還してからは越萌マイ
- 孫 悟兵(孫大人) 児玉元帥の友人
- 森ノ宮茂仁親王 心子内親王はシゲさんと呼ぶ
- ヨイチ 児玉元帥の副官
- マーク ファルコンZ船長 他に乗員(コスモス・越萌メイ バルス ミナホ ポチ)
- アルルカン 太陽系一の賞金首
- 氷室(氷室 睦仁) 西ノ島 氷室カンパニー社長(部下=シゲ、ハナ、ニッパチ、お岩、及川軍平)
- 村長(マヌエリト) 西ノ島 ナバホ村村長
- 主席(周 温雷) 西ノ島 フートンの代表者
- 及川 軍平 西之島市市長
- 須磨宮心子内親王(ココちゃん) 今上陛下の妹宮の娘
- 劉 宏 漢明国大統領 満漢戦争の英雄的指揮官
- 王 春華 漢明国大統領付き通訳兼秘書
※ 事項
- 扶桑政府 火星のアルカディア平原に作られた日本の植民地、独立後は扶桑政府、あるいは扶桑幕府と呼ばれる
- カサギ 扶桑の辺境にあるアルルカンのアジトの一つ
- グノーシス侵略 百年前に起こった正体不明の敵、グノーシスによる侵略
- 扶桑通信 修学旅行期間後、ヒコが始めたブログ通信
- 西ノ島 硫黄島近くの火山島 パルス鉱石の産地
- パルス鉱 23世紀の主要エネルギー源(パルス パルスラ パルスガ パルスギ)
- 氷室神社 シゲがカンパニーの南端に作った神社 御祭神=秋宮空子内親王
- ピタゴラス 月のピタゴラスクレーターにある扶桑幕府の領地 他にパスカル・プラトン・アルキメデス