異常寒波による雪の被害が北陸を中心に続いている。
石川県から福井県にいたる国道では約1400台のトラックなどが、
30時間以上も立ち往生していると報道は伝える。
明るいニュースも報じられている。
沿線沿いにある「餃子の王将」は、立ち往生しているドライバーなどに、
無償で約500人前の料理を届けた。
酢豚に焼きめし、天津飯、ギョウザ…など。
店は大雪のため前日から臨時休業だったが、余った食材で昼過ぎから調理し、
ドライバーたちに提供した。
雪害を伝えるニュースの中のホットニュースだ。
「雪中の狩人」1565年 ピーテル・ブリューゲル(父)
前回のブログで「北越雪譜」 で吹雪にまつわる哀しい夫婦の物語を紹介した。(2018.02.06)
今回も、雪にまつわる話をアップしようとネット上を彷徨っているうちにこの写真に遭遇した。
画家のピエール・ブリュゲールには、心当たりがないが、この絵にはかすかな記憶がある。
おそらくそれは、中学校あたりの美術の教科書に載っていただったように思う。
「なんと寒々しく、暗い絵なのだろう」 。
この何とも言えない暗さが、少年だった私の記憶の谷間に引っかかっていたのだろう。
一面雪に覆われた山際にひっそりと広がる村の風景です。
雪の林を抜けて行く、三人の狩人が描かれています。
冬は農民たちにとって過酷な食糧なんの時期になり、
農民たちは獲物を求めて狩人になる。
うつむいて歩く3人。先頭を行くひとりは、黒い樹木に溶け込んで上半身が見えない。
狩りのために連れ出された大勢の犬たちまで、尻尾を垂れさげ、うなだれて疲労困憊しているように見える。
獲物は痩せた野兎か野ぎつねが一匹だけ。
足は重い。
だがその3人の狩人の足は、食糧の乏しい冬の食べ物を補充するために雪をかき分け、
林を抜け森の奥深くまで獣を追いかける逞しく太い脚をしている。
鉛のように重い脚を引きずりながら、眼下に広がる村に向かって一歩づつ歩んで行く。
だが、ブリューゲルはこの「雪中の狩人」だけを描こうとしたのではない。
歩んで行くその先には、凍った池でスケートをする人々が描かれています。
拡大しなければわからない小さく描かれた氷上の人々ですが、
遊ぶ人々の姿が細やかに生き生きと描かれているのに気付きます。
橋の上には薪(たきぎ)を背負って行く人が描かれ、橋の下の氷上には人を乗せた橇(そり)を引く人がいます。
村の背後には岩肌をむき出しにし、人の近づくことを拒否しているような峻険な山が連なっています。
おそらくはアルプスをイメージして描いたのだろう。
作品の舞台となっているネーデルランドには存在しない風景だそうです。
さて、最初の絵をもう一度見てみましょう。
画面左上端に描かれた絵、大きな家が描かれ、看板らしきものが見えます。
「居酒屋」「旅籠」と思われます。
その脇で火を燃している人がいます。
この絵でたった一つ「あたたかさを感じる」点描です。
或る解説書によると、豚の毛焼きをしているところだそうです。
「居酒屋」に集う村人に提供する肉料理の準備なのでしょうか。
或いは、寒さに体の冷えた旅人をもてなす準備なのでしょうか。
息も凍るような厳寒の村の風景です。
「寒くて、暗くて、寂しい村の風景」というイメージが強く印象に残っています。
中学生だった私が、美術鑑賞でどんなことを教わったのか全く記憶にありません。
しかし、今こうして改めて眺めると、
厳寒の風景に描かれた村人の生活が生き生きと描かれていることに気付きます。
寒いとか、暗いとか、寂しいだけの風景だけではなく、
「絵」全体から伝わってくる物語性がじんわりと感性に響くから、
この絵に魅力を感じるのかもしれません。
最後に美術に造詣の深い人の、鑑賞の手引きの一部を紹介します。
この絵から伝わってくるのは、そこに住む人々の生活感や喜怒哀楽なのですが、
それさえも雄大な自然の前では無力でしかないという趣があります。
「もしかしたら人生で体験する様々な喜怒哀楽は、私たちが考えているほど大したことではなく、ほんの些細な事なのかもしれない……」と思えてくるから不思議です。
寒々しくはあるけれども、
神秘的で深みがある落ち着いた空の色や雪、
山々の深遠な姿はとても印象的ですし、
微動だにしない存在感を放つ手前の木々や奥行きのある風景がこの絵をますます魅力的にしています。
(つれづれに……心もよう№73) (2018.02.13記)
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