続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

階段が怖い。

2010-12-09 07:09:45 | 日常
〈カイダンが怖い〉といえば、普通〈怪談〉のほうだけど、わたしの場合、ごく普通の上下に交通するための階段。
 思い出は尽きないけれど、まず最初が小学校。
「二年生になると教室は二階になります」と先生が伝えると、生徒のみんなは歓声を上げたのにわたし一人は恐怖で固まってしまい、夜は夢の中でうなされるほどの不安。クラスメートのAちゃんは、手摺にまたがってすいすい降りて遊んでいたくらい喜んでいたのに、わたしは転げ落ちる幻想に悩まされ続けていた日々。

 アートテラーさんの柳原何某の建築・・・向こうが透けて見える階段を見て恐怖が再燃(どこ見てるの?って感じだけど)・・・ただもう階段が怖い!

 遠足で行った観音崎の灯台に、ただ一人、階段が怖くて登れなかった小学校四年生の記憶。
 やっぱり遠足で行った横浜の生糸検査所、工場では当たり前のあの鉄板を渡しただけの向こうが透けて見える階段が怖くて、帰りはどうしたら降りれるかばかりを考えていた小学校六年生の思い出。

 今でも、エスカレーターが怖くて、みなと未来線などは大の苦手。(エレベーターがあるけど、方向音痴なので人と逸れるのも怖い)

 階段は怖い。
 果たして天国の階段は上れるだろうか。〈地獄の階段を下りるのは死ぬより怖い?)

喪中はがき。

2010-12-09 06:40:49 | 日常
 年賀状を用意しなければ、と思ううちに喪中はがきが届く。
 毎年の事ながら胸が痛むと同時に、自分のXデイをも頭をよぎる。

 店を手伝ってくれていたMさんのご主人から電話でMさんの逝去を知らされたのは昨日・・・。
「原因は?」
「ありません、ただ自然に亡くなりました」という。
「・・・」
 元気で明るく派手好き、お洒落だったMさん・・・そう、亡くなったの・・・言葉が出なかった。

 こうして一人ずつ、あの世に召されていく。
《どんな意気地なしでも、最後の一歩は自分の足で逝く》
 順番は分からない・・・心して潔い覚悟で・・・。

 サークルのKさんのご主人、余命を知らされ覚悟していたとはいえ、自分の喪中はがきの文面を奥さんであるKさんを差出人にしてパソコンに打ち込んであったと言う。亡くなったのは四月、気が付いたのは十一月も末・・・再びの涙・・・。

 切ない年の暮れの話である。

『城』319。

2010-12-09 06:20:36 | カフカ覚書
「家だって」
「さあ、足もとに気をつけてくださいよ。すべりますからね。坂になっているんです」

 気をつける/acht→acht/8、追放。
 すべりますから/ausgleiten→ausgleichen/等しくする。
 Herr・・・領主。
 坂になっている/abwarts→abwart/終わるのを待つ。

☆「戦闘開始だって」
 「さあ、追放しよう。平等でない領主を。終わるのを待っているんです」