続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

M『臨床医』

2010-12-13 06:29:54 | 美術ノート
マグリット『臨床医』
 一見、男である。けれどよく見ると左手は男、右手は女のようであるし、靴は左足は女の小ささ、右足は男ではないかと推測される。
 つまり、男女ではなく人間という立場、人としての在り方という視点である。
 臨床医・・・患者を直接に診る医者をいう。この絵のどこに?
 
 頭部、胴体は空虚というか、鳥カゴが描かれている。
 二羽の鳥。カゴの出入口は開いている。
 出入口は閉まる可能性を秘めている・・・しかしカゴの間隔はこの鳥が出入りするのに不足がない程度の隙間になっている。
 つまりは、この鳥は自由であり、解放されている。にも拘らず、内部に留まる鳥はむしろ自由を拒否している。

 閉じこもり・・・すなわち「病気」を疑われる鳥なのである。

 マグリットの主題(テーマ)は一貫して、(決して口には出さないといわれているが)『母恋』に行き着くことが多い。
 鳥カゴに付随している板、本来この形は実在しない。第一、支えがない状態で、板が硬質の細い線に付着すること自体おかしい。百歩譲って非常に軽いものだとしても、乗っている鳥の重量は支えられない。
 この外の鳥は空想の上の空想、二重の幻想に位置している鳥である。
 この鳥のポーズ・・・卵を抱えているポーズあるいは瀕死のポーズではないか。よく観察すれば、落下の危機を孕んだ状態なのである。これは「母なるもの」への、固執した恋情ではないか。

 左手に持つ皮のバック・・・しかし、それは縫い閉じられている。医者のカバンは開かない。施術の道具は取り出し不可能。
 治療の術のない病気。右手の杖・・・支えがなくては生きていけないこの存在に臨床医は不在であるという皮肉。

 果てしない海、しかし座っているのは砂上、やがては崩れる砂の上。
 砂地に生えた草は、果たして鳥の餌になるのだろうか。
 海水は満ちている、しかし鳥カゴの中には、必ず備わっているはずの「水」と「餌」がない。(これは死に直結する条件である)
 
 自由であり、解放されている。何処へなりと飛んでいけるはずの鳥・・・けれど、わたし(マグリット)は、ここに留まざるを得ない病を抱えている。

 作家(マグリット)の眼差し、消失点・・・焦点は水平線。
 ずっと、向こう、途方もないほど向こうを見続けている。

Re「武蔵野」138。

2010-12-13 06:17:22 | 国木田独歩
されば君若し、一の小路を往き、忽ち三条に分るる処に出たなら困るに及ばない、

 君若一個路往忽三条分処出困及

☆訓(字句を解釈する9の二役、逸(隠して)消した計(はかりごと)の奥に、骨(物事の芯になるもの)がある。
 算(見当をつける)帖(書き付け)に部/区分けして書き、誰かの魂を究/突き詰めていく。

『城』323。

2010-12-13 06:10:09 | カフカ覚書
「お連れしたのは、どなたなの、バルナバス」と、娘がたずねた。
「測量師さんだよ」

 娘/Madchen→medium/媒介、霊媒。
 測量師/Landvermessen→Landvermissen/土地の不在に気づいた者。

☆「お連れしたのは、どなたなの、バルナバス」と、霊媒がたずねた。
 「不在に気づいた者だよ」