『新100線 No.70』
蓋付き缶ケースの底に固定された帯状の線(金属)。
蓋を閉めればその線条は見えず、無いに等しい。
動かし難く存在しているが、蓋さえ開けなければ人の眼に触れることもない。何の変哲もない100(数多)の線条の一端、見えてる景色ですらその時点で過去になり、胸の内に封じ込められてしまう。
時空の決定は変換不能であり、常に揺れ動く内実を持っている。それを質量に置換する時、与えられた自由と観念の束縛がせめぎ合うことは必至であるが、若林奮は一つの尺を決め、それに基づいた答えを追及、あるいは探求している。
決定の核への近似を試作追究しており、個人的な感想(作品)は常に普遍を意識している。
作品は、凝縮した形態としての一つの選択である。
(写真は横須賀美術館『若林奮VALLEYS』より)
あすこの農夫の合羽のはじが
どこかの風に鋭く截りとられて来たことは
一千八百十年代の
佐野喜の木版に相当する
☆悩みは普く業である。
和(争いを治める)永(とこしえ)の説(考え)の雷(神なり)は、逸(隠れて)潜(ひそむ)也。
飛躍の自由な念(考え)が、題(テーマ)である。
しかも、こんどは、アルトゥルは抜きにして、きみだけを助手にしてやろうという狙いさ。そうなれば、きみにもっと多くの注意力をむけることができるだろうさ」
☆たしかに、わたしは、今度はアルトゥル(本性/方法)なしで、きみに向かおう。そうすれば、さらに注意を向けることができるだろう。