『VALLEYS』横須賀美術館に設置された作品である。
ここを通る時の奇妙な体感。
両脇から圧され何かが滑り落ちてくるような感じと共に、空に突き抜けるような開放感がある。
束縛と解放の奇妙な混沌、持続する道に潜む微妙な違和感(ストレス)が不連続に出没する。
無機的な通路は、世界(仲間)との共存を忘れさせ、孤立無援の孤独な響きを奏でる。一種の恐怖、そして自衛・・・どこまでも一人の認識を呼び覚ます空間である。
ここを通過するときに感じるのは、共有の道でありながら《私的空間》に変移するという奇妙な体感にほかならない。
VALLEYS、まさしく谷底は、守られているが突き落とされたような、孤独であるが開かれているような、つまり矛盾を孕んだ《個》に帰るための覚悟の実験装置である。
(写真は横須賀美術館/若林奮『VALLEYS』より)
ぬすびと
青じろい骸骨星座のよあけがた
凍えた泥の乱反射をわたり
店さきにひとつ置かれた
提婆のかめをぬすんだもの
にはかにもその長く黒い脚をやめ
二つの耳に二つの手をあて
電線のオルゴールを聴く
☆照(あまねく光が当たる=平等)は、我意である。
乞うのは償いの座(関わり合いで罪に陥る)を統(おさめること)、それに泥(こだわる)。
覧(見わたして)判(可否を定め)赦(罪を許す)。
展(物事を繰り広げ)千(たくさん)の体(ありさま)を罵(ののしること)の懲(過ちを繰り返さないようにこらしめること)を告げる。
規約は普く似た字の種(たぐい)を伝え、千(たくさん)調べることである。
フリーダが頼んでいたことは、ただひとつだけだ。それはな、手に負えなくなった、犬のように助平な助手どもから救いだしてほしいということだ。残念ながら、おれにはその願いをかなえてやる時間がなかった。そして、おれが手ぬかりをしたばっかりに、こういう結果になってしまったのだ」
☆フリーダ(平和)は、自然のままであり、卑屈に見つめる助手(脳/知覚)から解放されるようにひたすら願っている。けれど、悲しことにその願いをかなえる時間がなかった。そしてその怠慢のために今こうしているというわけだ。