VALLEYS・・・《個》の風景であると同時に《他者》との競合でもある。
視界(風景)は、常に他者(対人・対物・世界)との触れ合いにある。《個は世界/他者)のなかの個》であり、《個の中の他者》である。
VALLEYSの構造には、向かう空間であると同時に、向かってくる空間(もう一つの)があり、向かってくる空間においては一つに集約されるが《数多》を孕む世界でもある。
VALLEYSの世界観は見通せるが、決して見通すことの出来ない深淵の闇(空間)が付随していて、天空(未来)に開けているが、地下深く滑り落ちるような恐怖(時間/過去)が隠れている。
VALLEYSはその抽象を物量に変換、見える構造に置換するという仕事だと思う。
(写真は横須賀美術館(若林奮『VALLEYS』より)
砕ける雲の眼路をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃の風が行き交ひ
☆済(救い)を運(めぐらせている)。
現れる字を展(ひろげて)解(わからせる)
照(あまねく光が当たる=平等)は理科(物事の筋道)であり、普く光の講(話)である。
わたしは、いちばんおそくまで官房に残っていて、とうとうわたしと従僕たちとだけになってしまいました。うれしいことにクラムがもう一度もどってくるのが見えたのですが、わたしのために引きかえしてきたのではありませんでした。
☆クラム(氏族)を見ると、長く官房(死)に残り、来世では従僕(死人)となったのです。やはり先祖の傷痕は異常であり、クラム(氏族)は、わたしのためではなく観察のために帰って来たのです。