『泳ぐ犬』
犬が泳ぐというのは通常の状態ではない。眠ったり食したり吼えたりすることの出来ない態であり、泳ぐという不測の事態から脱出することが唯一の目的である。
闘争と換言してもいいエネルギーの発散は、死なないため、生きるためのエネルギーの消費といえる。
『泳ぐ犬』は、鑑賞者(任意の誰か)に向かっている。もちろん人でない場合も大いにあり得るわけだけれど、他者(目的)に向かうエネルギーが周囲の視界の質を変え、私的なものに変容されていく、その空気の位相が異種の物質に置換される幻の光景である。
見えない空気の質的変換を図る実験装置、『泳ぐ犬』における水が木質に置換されているのも一つの可能性の示唆であり、空気(雰囲気)を質量をもって物質に置き換えるという計測である。
(写真は神奈川県立近代美術館/若林奮『飛葉と振動』より)
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
☆詞(言葉)を合(あわせて)呈(差し出す)念(考え)の、修羅(わたくし)である。
こうなにもかも申し上げるのは、あなたが二度とわたしの仕事ぶりに不満をお持ちにならないようにとおもってのことです。
☆死を告白するのは、再びわたしの行いに不安を持たないようにとのことです。