タイトルは作品に合致する、意味の分解、あるいは崩壊という点において。
確かに水車らしきものが・・・単に車輪のようなものが対にあるに過ぎず、これが水流によって回転するとは到底考えられないし、ここに水もない。金属は他動であって自動的に接近は不可である。遠近法があるようで叶っていない図法である。しかもこれらに着地はなく浮いているとしか思えないが、浮く要素もない。
条理の外に位置するこれらの集合はガラス板に描かれたものであるらしいが凝視するほどに意味を定めることができない設定である。
情報収集の打破、組み立てられたデータは、この作品世界には通用しない。
《言葉と物》の間に接合不可能な溝を感じる、未来永劫結びつかない亀裂である。言葉と物は最初から結びついている、合致することが絶対条件だからであるが、その絶対を切断した行為がデュシャンの作品である。
不合理、不条理、総てを否定しうる静かなる告発は大いなる条理かもしれない。
写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより
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