続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

D『9つの雄の鋳型』

2021-07-26 06:44:07 | カフカ覚書

   『9つの雄の鋳型』

「9は全てであり、0であり、無である」という。要するに不思議な数字を置いたのだと思うが、鋳型のなかを雄と限定するのも見えないので限りなく疑惑が残る。しかも作品は鋳型の外観であるのも関わらず、それなりの何かを想像できるような設えである。鋳型であれば、中の構造が重要であり、外観は問題外である。

 論点が見えない、見えないように巧みに構成された作品『9つの雄の鋳型』は外観、つまり有っても無くてもどうでもいい物のそれらしい意味を問うことで意味を隠蔽している。

 一つ一つ、既知のものに結び付け考える、まるでゲームのように。閉じられた中身に主眼があるように見せて、閉じられた中身は当然見えず、外観が手だてである。
 これはこうだから…と当てはめていくが決定的な答えは当然でない。
《あたかも》…人の考えは固定されている、意識するとしないに関わらず、過去のデータや常識という一般論に束縛されている。

 雄であることは普通にまかり通っているが、では厳密にという調査が入れば鑑定は心理的領域を含めて極めて困難である。
 つまり見えない、内包されている広域への挑戦、果てしないほどの未知をこの鋳型に閉じ込めたのである。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


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