手のひらに収まるほどの小さな作品、鳥かごは《わたくし/デュシャン》に他ならない。わたしの中の違和感、混濁、混沌は、そのままわたくしである。
角砂糖型の大理石は工場生産された等しい製品である。作られた衆、同じDNAを持つ連鎖の人たちに相違ない。しかし、突出・・・情報の変異は内的構造を変えることがある。
四角い等しい見かけを持つ角砂糖型の大理石と、イカの甲や温度計の明らかに見かけに相違のあるものが同じであるはずがない。変異は長い歴史の中でごく自然である。にもかかわらず、除外の憂き目は避けられない。気づかれてはならない大いなる差異の秘密。
同じ世界(鳥かご)で生きている、存在者としての同質。
この『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』は、いかにも不可解であり、意味のない物にしか見えない。捨てるしか値しない、むしろ、それが答えである。
あえて送るのはカミングアウト、告白である。
写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより
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